人間とそうでないものの区別、というものを、みなさんは付けられるだろうか。二足歩行をしているものが人間、言葉を話すのが人間、火を使うのが人間、といった具合に、恐らくそこには様々な答えがあるだろう。しかし、わたしの答えはそのどれでもない。語弊がないように、正確に言うと、わたしには答えがなかった。これから先も、偶然見つける以外は探す気もない。見慣れない建物の見慣れない一室で見慣れない人々に囲まれて、わたしはただひたすらそう思った。無理に区別をつけようとするから、いつの世にも争いが絶えないのだ。

「きみはソレスタルビーイングの一員だね?」
「ちがいます」
「嘘をついても無駄だよ」

やっぱりそうですよね、胸中でだけそう吐き捨てて、わたしはこの戦いを籠城戦に持ち込むことにした。隙を突いて逃げようだとか、積極的に嘘をついて煙に巻こうだとか、そういうことは考えない。街中で突然とっ捕まってから早三日、この部屋に連れ込まれては飽きもせず同じ質問を繰り返されて、わたしはとうとう頭が痛くなっていたのだ。恐らくこれは新しい形の拷問なのだろう。というより、ただ頭が悪くて繰り返しているだけということは、許されない。なにせ、わたしは「今世紀最大の大馬鹿野郎どもに捕まってしまったド阿呆」というレッテルを張られるような羞恥には慣れていないのだ。

「ではあくまできみは、ソレスタルビーイングではないと言うのだね」
「そんな名前、聞いた事も御座いません」
「それは、残念だね、我々はソレスタルビーイングに用事はあっても、他の人間に用事はないのだよ」

かちゃり、と冷たい嫌な音がした。聞き覚えのある音だ。わたしはその音に動揺した。しかし同時に、「今世紀最大の大馬鹿野郎どもに捕まってしまったド阿呆」にならずに済んだことに少々喜びを感じてもいた。そっと目を閉じる。ソレスタルビーイングに入ると決めた時から、いつ死んでもおかしくない、そう自分に言い聞かせて生きてきた。その長年の自己暗示が功を奏したのか、今となっては死をチラつかされたくらいでパニックになることはない。瞼の裏に浮かんでくる仲間たちのことを思えば、こんな命など。そう思える自分を自賛しようとした、その瞬間に、酷く乱暴にドアが開かれる。

「緊急事態だ!」

その一声で、わたしは外で何が起きているのかを理解した。外から聞こえる容赦ない発砲音に、聞き覚えがある。わたしを囲っていた見慣れない人々がどんどんドアから外へと出て行って、ついにわたしは無人の部屋で縛り付けられたままの間抜けになった。「そして誰もいなくなった」とはこのことか、そう思って、そっと窓を見つめてその向こうに思いを馳せる。しかし、声は思いの外近くから聞こえてきて、昔本で読んだ囚われの姫君を気取ろうとしたわたしの野望は見事に打ち砕かれた。


「ティエリア」
「怪我はないか?」

どうして助けに来たの、とわたしは呟こうとしたけれども、赤紫の双眸に一度無言で見詰められただけでその言葉は霧散する。手を引かれて走って、発砲音の度に庇われて、わたしは彼のしんぞうのおとを、何度か聞いた。怪我はないか、そう言った彼の声をなぜか何度も思い出す。

「遅くなってすまなかった」

セラヴィーに乗り込んですぐ、ティエリアはこちらに視線も向けず開口一番にそう言った。表情は窺えなかったけれど、その声に本当に十分すぎるほどの謝罪の意が含まれていることを痛感して、わたしはすぐに首を振る。

「謝ることなんて、ないわよ」
「優しいんだな、きみは」
「そうじゃない、この組織に入った時から」

死ぬことに臆病になるのはやめたの。はっきりと口に出したはいいが、それは、言うか否か、言葉が舌先を滑り落ちるその瞬間まで悩んだ一言だった。この一言をわざわざ言う必要など、恐らくこの世界のどこにもなかっただろう。そんな無駄な一言は仕舞っておくべきだとも思ったが、それでも、これが素直な気持ちなら、伝えておきたいとわたしは思った。しかし、ティエリアは相変わらずわたしを見ない。この狭い機内の空気が、音もなく冷える様子が目に見える気がした。

「では死ぬつもりだったと?」
「必要であれば、そうしていた。最も大事なことは、わたしが生きて帰ることじゃないでしょう?」

ソレスタルビーイングが確実に理想を手にすること。世界から争いを奪うこと。わたしはそれが一番大切なことだと思っていた。だからこそソレスタルビーイングに命をかけて入ったし、多少は死を恐れない気持ちも手に入れた。ふと、前方で微かな溜息が聞こえてわたしはそっと視線を上げる。視線の先では、先ほどの味気ない後姿とは打って変わって綺麗な双眸がわたしを待ち構えていた。

「きみは本当に人間か?」
「どういう意味?」
「そう思ってきみに接している人間はひとりもいないと、なぜ気付かない」
「そんなの、わからないじゃない」
「昔、僕も同じことを考えていた。...だからわかる」

少しだけ、哀しそうにティエリアが笑う。その笑みを見てわたしは思わず、そっちこそ人間じゃないって本当なの、ととんでもなく大層なことを呟いた。途端に、ティエリアが少し不機嫌そうな表情とともに、一度は前方に戻した注意をまたわたしへと向ける。

「失礼だな、僕は人間だ」

なんて迷いのない答え。わたしはなぜだかじんわりと胸が熱くなるのを感じて、思わずぎゅう、とティエリアに抱きついた。もちろん、彼はガンダムを操縦中であったのでそれは一瞬だったけれども、やってしまった、とわたしは思った。ティエリアはきっと酷く怒るはずだ。わたしはすぐに弁明の意を表そうとした。しかし、当の本人は酷く嫌そうに溜息をつくくらいで、それ以上のお叱りはいくら待ってもやってこない。

「.....ティエリア?」
「...やっぱりきみも人間なんだな」
「え、ちょっと、本気で疑ってたの?」

ふ、と小さく笑って、ティエリアは後部にいるわたしを見つめた。ヘルメット越しでも伝わる、その微かな笑みはとてもやさしい。なんだか少し気恥ずかしくなって、ちゃんと前見て操縦してよ、と言い掛けたわたしは、しかしすぐに視線の先にトレミーがいることに気が付いた。静かな声で名前を呼ばれて、ティエリアに視線を戻す。出会った双眸はとてもきれいな赤紫の色をしていた。約束してほしい、と彼は言う。

「もう二度と、死んでもいいだなんて馬鹿な事は考えないでくれ」













022309