放っておいてよ、そう叫ぶ声が、不意に廊下に響き渡ったのを偶然に彼女は耳にした。栗色の豊かな長髪をゆるゆると靡かせて、彼女、つまりスメラギ・李・ノリエガは声のした方へと向かう。すると向かう方面から現れたのは、彼女が普段から目を掛けている部下の一人、であった。いつも明るく笑顔を絶やさないであったが、しかし今は誰とも顔を合わせたくないと言わんばかりに俯いてスメラギの横を遠慮がちに通り過ぎる。挨拶も笑顔も会釈もまるでない。その様子から、自分が今首を突っ込もうとしている状況がどんなもので、そうして向かう先に誰がいるのかを瞬時に悟ってしまったスメラギは、ひとつ盛大に溜息を落とした。

「刹那、を傷付けたら承知しないわよ」

予想通りに視界に飛び込んできた青色の制服を纏う男の横でそっと立ち止まって、軽い調子で窘めるようにスメラギがそう言えば、刹那と呼ばれた青年は黒髪の合間に覗く赤い瞳で驚いたように彼女を見据えてスメラギ、と言った。微かな機械音が延々と響く廊下に二人以外の人間はいない。

「今度は何?」
「大したことじゃない」
「ホント、懲りないわね」
「....が」

少しの間を置いて言葉を紡いで、刹那はそっと瞬きをする。柔らかくて、温かい、刹那の表情に、スメラギは彼の成長を垣間見た気がして心底安堵した。

「あんな風に素直にぶつかってくるなら、何度喧嘩になろうが、俺は彼女を受け止めてやるつもりだ」
「そう......それじゃあ、心配はいらないわね」
「ああ」

ゆっくりと頷いて、刹那は先ほどスメラギが現れ、が消えて行った方向へと視線を向ける。刹那がを追いかけるつもりなのだと気が付くと、スメラギはふと、一番最初に聞いた泣きそうな声を思い出した。

「いいの?」
「何がだ」
「放っておいてって言われたんでしょう?」
「あいつのその言葉ほど、信用できないものはない」

刹那はそう言うと微かに口元を緩めて、その腕でぐっと壁を押す。見えたその横顔はとても確信に満ちていたので、スメラギは今度こそ呆れたように笑いながら大きく息をついて、廊下の奥に消えていく青年へと軽く手を振った。

「熱愛中ってこういうことね」










051009