「ア、」

4年ぶりに見つけた懐かしい、けれどどこか見慣れない姿に、わたしの心はとても複雑に濁り始める。アレルヤ、そう呟こうとしたのに、声が出ない。わたし、もう、名前の呼び方も忘れてしまったのかしら。もう一度、名前を呼んでみようかとも思ったけれど、ガンダムから、慣れた様子でキャットウォークへと降り立ったアレルヤは、遠目にみても明らかなほど疲れていたので、わたしは声をかけようとすることを諦めて俯いた。いいや、そうとわかったから、諦めたのではない。アレルヤに気付いてほしかったのだ。わたしという存在が近くにいることを。だから、やせ我慢をして、あの優しい声で名前を呼ばれることを待っていた。それでも、いくら待っても彼から優しい声で呼んでもらうことは叶わなくて、わたしはもはや陰に隠れて息を潜めていることくらいしかできなくなった。素直に声をかければよかったではないか、と言われてもどうしようもない。だって何故だか名前が上手くいえないし、それに何よりもう、彼は他のマイスター達と共にどこかへ行ってしまっていた。


それからしばらくして、自室に移動したわたしのところへ刹那が会いにやってくる。無愛想だけど、優しい刹那。おかえり、と言って抱きついて、ああ、と言われて抱き締め返される、いつものやりとりを交わすと、刹那はじっとわたしの目を見つめてはっきりと言った。その視線は裏庭に顔を出した鹿が周りの様子を窺う時のように注意深くて、そうしてどこかの村の長老が星を読む時のように繊細だ。わたしが刹那に心配をかけていることなど、すぐにわかった。

、アレルヤが戻った」
「    、.......うん、さっき、みた」

まただ。上手く名前が言えない。刹那は目の前で何の苦労もなく言って見せたのに、
(どうしてわたしだけ?)

「顔を見せに行くといい」
「そうね、ありがとう、...刹那」

今度は慎重に、刹那の名前を呼んでみる。何の苦労もなくすんなりと出た音に、わたしはとても驚いた。刹那の名前はちゃんと言えるのに、アレルヤの名前は言えない。何でかしら。もしかして、わたし、いつのまにか刹那に恋をしてしまったの?

?」
「刹那」
「俺はもう行くぞ。ああ、アレルヤの部屋はこの奥だ」

わかった。そういってお礼を言って、部屋を出ていった刹那を5秒見つめる。すき?わたしが、刹那を...(では、アレルヤは?)色んな思考がたったの5秒でぽこぽこ生まれて消えていく。わたしはアレルヤが好きだった。でも、今は? 4年間会わないで居て、まだ、わたしはアレルヤが好きなの?そんなことを考えながら、わたしは意を決して刹那とは反対の方向へ向かった。アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。今度こそ上手く言えるように何度も頭の中で繰り返す。キーがかかっていない目的の部屋のドアは、わたしが前に立つと何の躊躇いも見せずに開いた。そうして見えた、4年ぶりのアレルヤは、わたしに気付くとその身に積もる激しい疲労もそっちのけで驚きを露にする。

「ア、」

(だめだ、呼べない)
彼から目を逸らさずに、わたしはすぐに練習が功をなさなかったことに気がついた。心臓が破裂しそうに鳴っていて、苦しい。それでも、その隙間に潜む甘酸っぱいような気分がわたしはとてもすきだった。ベッドの縁に座っていたアレルヤが、立ち上がって震える声で音を紡ぐ。ああ、わたしが、いちばん、せかいでいちばん、欲しかったのはこれだ。刹那の声とも違う、ロックオンの声とも違う、ティエリアの声とも、違う、この音。

...っ」

泣きそうなアレルヤの顔に胸が詰まる。だけれど詰まるだけで、どこからも詰まった感情が溢れ出す気配は無い。苦しい。

「また、君に会えるなんて....」
「...久しぶりね、(アレルヤ)」

なんだか苦しくて嬉しくて悲しくて切なくてくらくらする。でもきっとそれは体の調子が悪いとか、そういうことではなくて、いっぺんにこんなにたくさんの感情をコントロールすることに慣れていないからなんだろう。そっと、少し怯えるように、アレルヤはわたしの近くに寄ってくる。


「....なに?」
「どうして、僕の名前を呼んでくれないの」

忘れてしまった?アレルヤは、そっとわたしの頬を両手で挟んでそう呟いてまた泣きそうに顔を歪めた。途端、わたしの胸にも酷い痛みが押し寄せる。忘れる?(まさか!)わたしが何を忘れようとも、一番最後までわたしの記憶に残るのはあなたの名前よ。思い出よりもずっと大きくて温かいアレルヤの手のひらを心地よく思いながら、わたしはそっとアレルヤを見つめ返す。愛しさが込み上げて、きゅうと胸が締め付けられる。やっぱり、わたしは刹那にではなく目の前の男に惚れていて、恋をしているんだわ。4年経っても、相も変わらず、ずっと。

「ごめんわたし...上手くあなたの名前が呼べないの」
「...呼べない?」

少し訝しげに聞き返されて、わたしはひとつ音もなく頷いた。すると、アレルヤはぐいとわたしを抱き寄せて耳元で囁く。その優しい声は、まるでしんしんと雪が降る音のように綺麗だった。

「呼べないんじゃなくて、呼ばないんだよ」
「え?」
「僕が急に帰ってきたことが怖いんだろう?」

怖い?言われてはっと気がついた。キャットウォークに降り立ったアレルヤに声をかけてもらうのを待っていたのも、刹那が背中を押してくれるまで会いに来れなかったのも、ぜんぶ、突然帰ってきた大きな存在をどう受け入れていいのかわたしが分からずにいたからだったのだ。だって、わたしはこうして今も変わらずアレルヤがすきだけど、でも、じゃあ、アレルヤは?4年の間に、変わってしまっているかもしれない。現に、目の前の彼は記憶の中の彼よりずっと大人になっていて、わたしには見慣れない姿だ。

「(アレルヤ、)わたし、わかんないよ」
「大丈夫...、よく見て。君の、アレルヤだよ」

少し寂しそうに笑って、アレルヤは腕を伸ばしてわたしを捕まえる。ぎゅうと強く抱き寄せられるその力加減も、頭の上に擦り寄せられる彼の頬の暖かさも、なんだかとても、なつかしくて、じわりと視界が歪んだ。かたかたと、胸につっかえていた何かが微かに音を立てて揺れる。確かに彼の姿は4年の間に記憶の彼とは違ってしまった。でも、姿が変わっても、彼は昔と同じようにわたしを呼んでわたしを抱き締めている。もしかして、彼の心の中にも、まだ、わたしがいるの?

「.....アレ、ル、ヤ」
「...なあに....」
「アレルヤ」
「うん」
「アレルヤ」
、好きだよ」

どきん、と一層強く心臓が跳ねる。丁寧に丁寧に言葉を紡いで、そうして体を離してわたしの顔を覗き込んでくるアレルヤは、少し誇らしそうに微笑んだ。欲しい言葉は、これでしょう?まるでそう言っているかのような彼の色違いの双眸に見つめられて、わたしは何も言えずに俯いた。ぽた、と落ちた雫と一緒に、胸に詰まっていた感情が一気に溢れ出したけれども、それはすぐに、目を逸らすことを許さない優しい手によって掬われる。そっと頬を撫でる指先に、溜息をついた。こんな風にわたしの頬を撫でる人は、この世界に一人しか居ない。会いたかった、会いたかった、会いたかった。わたしは溢れ出る気持ちをそのまま言葉にしようと思ったけれども、アレルヤはそんなわたしの言葉をやんわりと指先で押さえ込んで、今度は恥ずかしそうに苦笑した。

「...ごめん、間違えた」








愛してる
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