わたしが愛した彼はいつも優しかった。ふとそう思い出して、ガンダムマイスターを救出するミッションが進行している最中、熱が溜まったように熱くて痛い両目でわたしは辺りを見回した。驚いたことに、わたしは今自分が何処に居るのかさえ、涙と一緒に流して忘れてしまっていたのだ。もうあと一時間も泣いたら、わたしはわたしが誰であるかも忘れてしまうだろうか。そうだとすれば、こうして苦しむよりそのほうがずっといいのかもしれない。わたしが何もかもを忘れてしまえば、仲間に救出されて戻ってくる彼もまた、何の気兼ねなく新しい時間を刻み始めることが出来るだろう。じわりとまた涙が滲んだ双眸で、わたしは霞んで見えないフォトスタンドを見つめた。見えなくても、覚えている写真の中の笑顔。優しくて、穏やかで、嬉しそうなそれを脳が寸分違わず再現すると、わたしの両目はまた泣き出した。あんな風に笑える彼が、何の気兼ねもなく新しい時間を刻めるなど、そんなはずはない。わたしが何もかもを忘れてしまえば、また何らかの形で彼が傷付くだけだ。それは何よりも明らかな事実で、そうしてわたしがよく知っていることのはずだった。過ちを犯して彼を傷付けぬよう、わたしは何度も何度も言い聞かせる。しかし、何度繰り返しても、そんなはずはない、そう口に出して呟くことは、できなかった。






それでもきみが傍に居た
(苦しい時も、悲しい時も、寂しい時も、朽ち果ててもいいと 思った時だって ずっときみはぼくの、)







部屋を出たは、ゆっくりと、音もなく廊下を歩く。もう涙は出ないようで、ぼんやりする頭を除けば視界もさほど悪くはなかった。静かだな、と思う。こんなにも早く、ミッションは終わってしまったのだろうか。スメラギさんの予報と刹那たちの腕を考えれば、有り得ない話ではないけれども、そうだとするなら出てくるのではなかったな、と少なからずは後悔した。そのまま、ふらつく体を支えるために壁に手をつきながら立ち止まると、不意にドアが軽い電子音を立てて開かれる。がその存在を見たのと、その存在がを認めたのはほぼ同時。

「スメ、ラギ、さん」
!あなた、.......ふらふらじゃない....」

わたしもわたしだけれど、あなたもあなたね。微かな笑みと共にそう呟いて少し辛そうな表情を浮かべると、スメラギはそっとを室内へと案内した。炯々と光るパソコンのモニターに映し出されるたくさんの資料を見つめながら、は勧められるままにベッドの上に腰を下ろす。何か、用事があって外に出ようとしていたのでは、と聞こうとしたよりもずっと早く、スメラギはその会話を支配した。

「アレルヤね....?」
「......ミッションは、終わったんですか」
「ええ、さっき、無事に」
「....無事に。」

あまりよく思考できず、はスメラギの言葉を繰り返す。無事に、終わったということは、彼は今同じ艦内にいるんだろう。そう思うと同時に、ぞっとするような戦慄が背を駆け抜ける。やはり、無目的に出てくるのではなかった。かたかたと指先が震えだすのを押さえ切れずに、は小さく俯いた。こわい。どうしようもなく、彼に出会ってしまうことが怖い。拘束されながら生きていることがわかった時は、とにかく早く助けて欲しいと必死だったけれども、しかし、一体、こんな身で、どんな顔をして、会えばいいというのだ。誰もが平和に暮らしているわけではない事は分かっていた。それでも、愛する者を差し置いて自分だけのうのうと生活していた4年間が育んだ、巨大な罪悪感から逃れることなどとてもできない。愛しているからこその苦しみ。そうして、そんな苦しみだからこその自己否定。

「わたし 4年間 ここでみんなと笑いながら」

ぽた、と音を立てて膝の上に雫が落ちる。ああ、まだ、残っているのか。煩わしい。

「笑いながら、4年、間...あ、アレルヤが、こんな、ことになってる、なんて知ら、ないまま、きっとどこかで生きていて、刹那やスメラギさんのように、帰ってきてくれると、思って、いて、こんな」

こんな、ことって。

「大事にしたいって、いちばん、しあわせに、してあげたいって、そう思っていたのにこれじゃあ...!」

痛い。涙がまた溢れ出した双眸も、水分が出て行ってからからになった喉も、かさつく唇も、朦朧とする頭も、心臓も心も涙に打たれる膝も全部。大事にしたいだなんて、もう二度と口に出来ない。幸せにしてあげたいだなんて、もう二度と口にしない。を信じて笑った彼の困ったような、照れたような微笑みが、悪夢のように甦った。

「....、気持ちは分かるわ...でもあなたがそんなに」
「誰が、許したって、自分が自分を許せなきゃ、何も、変わりはしない」

それはあなたも、よく知っているでしょう?そう微かに呟いて、は静かに瞬きをする。ぱたた、と音を立てて落ちた涙がの足を滴った。

「...例えば同じように4年間、拘束されたら、わたしはわたしを、許せるかし、ら...」
「....
「行きますね、」

きっと彼はまた新しい人生を歩み始める。新しい人と出会って、新しい幸せを見つけてくれる。そう確信できる可能性がそこに少しでもあるのなら、わたしは喜んで、彼の輝かしい未来への犠牲になろう。













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