トレミーへと向かう間、わたしと刹那は互いに何を言うこともなく黙っていた。いつもその姿を目で追わずにはいられなくて逃げて回っていた癖に、いざこうして向き合ってみると、目の前にある刹那の姿は思いのほか懐かしく思えた。彼はそんなわたしの視線に敏く気が付いて、「なんだ」と言う。まるで宝石のようなその瞳も、耳に残らない柔らかなその声音も、どれもいつも通りの彼だった。

「何でもない」
「あの場所で、何をしていた?」
「興味があるの?」

わたしが少し意地の悪い切り返しをすると、刹那は僅かに眉を寄せて押し黙った。しかしその後すぐに、彼は真っ直ぐわたしを射ながら「ああ」と言うので、今度はわたしが言葉に詰まる。それでこのままこの会話は死んでしまうのかと思ったけれど、しかし暫くして、一度失われた会話を取り戻すための格好の疑問が、わたしの胸の内で閃いた。彼は先程、興味があるのかと訊かれてそうだと答えたけれども、それは果たして、いつからの答えなのだろうか。一番初めの、あの夜からか。わたしが嘘をついて、地上に降りてからか。わたしは尋ねずには居られなかった。

「いつから気にしてたの?」
「何をだ」
「あたしが、何をしているか」
「それは俺には関係ない」
「なによそれ...。」
「元気にしていたのか?」

刹那の言葉に、わたしは驚いて、向かい側に座っている本人を凝視する。「ええ」と答えるわたしの声と重なって、あと10分程度での到着を知らせるアナウンスが、言葉もなく見詰め合う二人の間に割り込んで消えていく。アナウンスが消え去ると、音も無く緩やかに動くエレベーターの中は酷く静かであった。視線の先にいる、酷く真面目な顔をした男の視線が、ゆっくりとわたしから逸らされて下へ落ちる。前髪がそっと肌を撫でて揺れる様子が、とても切ない。刹那は、漆黒の睫毛に縁取られたルビーの双眸をそうして僅かに伏せたかと思うと、もう一度わたしを静かに捉えて、「そうか」と言った。その声は、僅かに安堵の色を滲ませていた。しかし、それを耳にしたわたしはとても堪らない心地がして、自分でも知らぬ間に、酷く焦った声で彼の名を呼んでいた。この男は、たった一言の為に、今の一瞬で一体いくつの感情を殺したのだろうと思ったら、涙さえ零れそうであった。

「刹那、わたしは、あの日刹那から逃げ出したのよ。あなたが純粋種のイノベーターであることに、耐え切れなかったから。あなたが、すべての人類にとっての水先案内人たる存在である以上、わたしはあなたを独占できないから」

刹那はうんともすんとも言わなかった。それで、水を打たれたように静まり返った個室には、わたしの言葉ばかりが吐き散らされていった。刹那が聞きたいと、望んだわけでもない言葉が、わたしの唇の合間から滑り落ちる。

「刹那と離れて他の誰かと幸せになれれば、楽になれると思ってた。それは今でも、そう思うわ。替えが効くなら、どんなに良いかって...でも、そんなこと、出来ないのよ。刹那があんまりわたしを大事にするから、わたしはわたしを、簡単に他人に預けることが出来なかったの」
「それを確かめるために、お前はあの場所にいたのか」

「そうよ」と、真っ直ぐに刹那を見つめてわたしはひとつ、頷いた。そうして、お願いだから叱るなり貶すなり嘲るなりしてくれないか、と神にも縋る思いで刹那を見詰め続けた。感情が高ぶった所為で涙腺が緩んで、目頭が熱い。刹那は少しの合間、そんなわたしと視線を合わせたまま黙っていた。しかし、そっと一度瞬きをすると、彼はとても静かな表情で窓の外へと視線を向ける。

「俺は一体、何者なんだ」

それは、本当に無意識に、彼の舌先を滑り落ちて音になったような響きであった。恐らくは彼の自問自答の言葉であったのだろうが、わたしはその一言に心臓を掴まれたような衝撃を受けた。刹那が、はっとしてわたしを見詰めながら、少しばかり瞳を和らげて「泣かなくてもいい」、と言う。しかし、わたしは双眸から溢れる涙を拭うことも、我慢することも、しなかった。そんなことよりも、刹那に触れたかった。急いで安全用のシートベルトを外して、向かいに座る刹那を腕の中に抱き込む。それは、実に数週間ぶりの抱擁であった。刹那が不安に思っていることを、知れてよかった。わたしの涙の半分は、その理由のせいだった。

「刹那」
「なんだ」
「大丈夫よ」
「...?」
「刹那が好きで、刹那を独り占めしたくてしょうがないあたしがいる限り、あなたは独りになんかならないじゃない」

「もしそれを許して傍においてくれるならの話だけど」と、わたしが笑いながら涙を零して刹那の髪に頬を擦り寄せると、刹那は息を吐くように、微かに笑んだ。シートベルトをしないわたしの背を確かな力で捕まえる、刹那の腕の温かさを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。刹那・F・セイエイは、わたしの6年来の想い人であり、もう何年もわたしと特別な関係を続けている不思議な男であった。争いを憎み、ガンダムを愛し、平和を望むこと以外に活力を注がない彼を傍に得られたことはまるで奇跡であったと未だに思う。例えばもし、もう一度人生を繰り返したとしても、彼を再び得られるかどうかは定かではない。寧ろ得られない可能性の方が格段に高いような気がして、一度手に入れた以上は、寂しがりな彼のためにも、きっともう二度と彼を離すまい、とわたしは改めて自身の身に余る幸福を噛み締めた。目的地への到着を知らせる機械的なアナウンスが、言葉も無く抱き合う二人の間で溶けていく。












結局あなたは人間だった



110410