わたしはだいぶ息が切れていた。とはいえ、ここは宇宙だ。運動という運動は、ジムの役割を果たす一室でしかやらない。ではなぜ、わたしの息が切れているのか?プトレマイオスという名の戦艦内に幾多とある廊下の一本を慣性の法則に則って等速で移動しながら、わたしは注意深く辺りを見回す。そうしてついに追いかけていた目的の存在を確認して、すぐさま容赦なく叫んでやった。わたしの息が切れている理由とは、つまり、そういうことだ。いたずらをしでかした人間に対する呆れと怒りで言い争って叫んだせい。

「ハレルヤ!」

カツ、と音を立ててヒールが床にキスをする。ぐっと力を入れて立ち止まると、視線の先で深い翠の癖毛が、ふわりと揺れた。その合間から、覗く片目は綺麗な金色。それは酷く物事を悟ったような目だというのに、放たれる煌きはまるで何も知らない無邪気な子供のようで、わたしは心底戸惑った。ハレルヤはわたしを見据えながら、笑う。首元を撫でられた猫のように柔らかに、婉然と、傲慢に。

「おーおー、おっかねェのが来たな、ここはお前に譲るぜアレルヤ」
「なっ」
「えっ、ええ!?ちょっと、ハレルヤ!?」

動揺している様子の目の前の男は、同じ顔をしているけれども中身が違う。それを知った上でぐっと近寄ってにこりと微笑むと、わたしはそっと浮かせた体を安定させるために彼の両肩に手を添えた。少しだけ泣きそうな、優しい瞳がどうすればいいかを無言で問うてくる。どうして、わたしは、目の前の男を好きにならずに『彼』を好きになったのか?ふと、そう思ったけれど、結局いくら考えてもその答えは分からなかった。ただ、苦難ばかりしかない道だというのに、行く先に光などないというのに、それでも止められなかった、この思いは恋なんていう可愛らしいものではない。これはそんな夢見がちな気持ちなどよりも遥かに現実的で、冷たくて、苦くて、そうして甘美なものだ。例えばそれは、力で従えられた弱者が、衝き立てられた牙に酔った被捕食者が、感じる、服従、許容、心酔、傾倒、崇拝、その他様々な抗い難い誘惑すべて。

「アレルヤ、申し訳ないんだけどハレルヤを出して、くれないかしら」
「あ、うん」
(は、ハレルヤ)
(やなこった)
(ええ?でも...)
(今俺が出てってみろ、ぶん殴られてお前だって痛い目見るんだぜ?)
(それは、そう、だけど)
「....出てこない気なのね?」
(ほら、がこんなに)
「アレルヤ」
「あ、...な、に...っ」

体を支えるために添えていた両手にくっと力を入れて、何の疑問もなく顔を上げたアレルヤに、わたしは触れるだけのキスをした。しかし、すぐにその違和感に眉を顰める。アレルヤが、わたしのキスの受け止め方を良く知っているはずはないのに、彼は今わたしのキスをすんなりと受け止めた。なぜ、そう思って、わたしは次の瞬間に胸中で自嘲する。答えなど最初からひとつしかないではないか。そしてその確信に近い予想と共にそっと唇を離して見れば、そこにあったのはやはり想像したとおりに透き通った、トパーズの瞳。

「.....ハレルヤね」
「...お前、さすがにこれはねェだろ」
「こうしなくちゃ、出てこないで、しょ!」
「ってえな!」
「アレルヤ、ごめんね痛くして....」
「あ?てめえなんで俺じゃなくてアレルヤに謝ってんだよ!」
「当然でしょ?あなたと違って彼には痛い思いをする理由なんてないんだから」

そう言って、わたしは思い切り頬を叩いたあとで少し痛む手のひらを、ハレルヤの前髪へと伸ばした。煌々とした金色とは対照的な銀色の瞳をその柔らかな髪の下に見つけて、隠された左目をそっと撫でる。ハレルヤは特に何も言わずにじっとしていたけれども、しかしその間も、彼の腕だけは容赦なくきりきりとわたしの体を抱き寄せて締め付けた。事前に申し合わせたわけではなかったが、その痛みを合図のようにして、わたしはハレルヤと真っ直ぐに視線を合わせる。迷いなどないままで見つめるライオンの色をした目が、一秒もわたしから逸らされない、その感覚が愛おしい。彼に会いにきたのは怒りを伝えるためであったのに、いつの間にか、わたしは彼と離れることが名残惜しくなっていた。そっと頬を撫でて、細められる目に息を詰めて、抱き寄せられる力の強さに安堵する。次の予定のためにそろそろ行かなければならないと分かっているのに、とても短いはずの別れの言葉が、出てこなくて、わたしは僅かに視線を落とした。こんな時、離れたくない、とは思わないが、離さないで欲しい、と強く願うわたしは、やはり彼の餌食となるに相応しい存在なのかもしれない。そう思うと、ハレルヤはわたしが別れを切り出せないでいることを察したように、ゆっくりと一度、名前を呼んでわたしの腰を強く引き寄せる。途端、わたしの胸は実に様々な感情で満ち溢れて、そうしてその苦しさに耐え切れなくなったわたしは、ついに彼の背中に手を回した。こんなにも彼にのみ反応するようになったからだで、一体これから先、どんな男を愛せるというのだろうか。もはや、わたしにハレルヤから逃げる術などひとつもない。


「ハレルヤ」
「あん?」
「.........痛かった?」
「別に」
「人がせっかく心配してるのに、なによそれ....」

(ふふ、ハレルヤ、きみが素直に殴られるなんて珍しいね)
(うるせェよ)









プレデター
12092008
(and im your prey)