「やけに」


男が、さらさらと流れる風に任せるように 言葉を紡ぐ。


「機嫌が 悪い、」


静まり返った室内には 男の声が聞こえているのかいないのか、それさえも分かりかねる様子の女が一人。
そうして 至極静かに 囁く薬売りの男がひとり。


「よう ですね?」

「……私の心の内など あなたには」「関係ない     ……… 確かに。」


女の言葉を遮るかと思えば、後を引き継いで女が言いたいことを完結させる。
この男は何がしたいのだろう、と 女は思った。
顔見知りになってから 日が浅いわけではない。
けれども時間を重ねても重ねても、理解できないことは理解できないままだ。
ゆらゆらと、床が揺れる。船の上の一室。
そんな女の思考をよそに、薬売りは背負った薬箱を部屋の片隅へと下ろして、その場に膝を折って座った。


「…しかし原因は 私に 言い寄ってくる 女性」

「……」

「違いますかね?」

「…意地が悪いわ」

「おや…それは心外だ。素直にならずに 私をこうさせているのは 何処の誰です?」


薬売りの言葉に女は小さく眉根を寄せて、口を噤んだ。
ゆらゆら ゆら
不規則だが緩やかに 船が揺れる。









ゆら ゆらゆら



「嫌なのよ、…あなたと 他の女の子が 仲良くするのが」

「なぜ」

「…許せないの、わたしの 心が 狭いから」

「…ちがう」

「真実よ」

「いいや…あなたはわざと自分自身を矮小だと思い込んで逃げようとしている」


薬売りは静かに、淡々と告げる。
そうして揺れる船の中、立ち上がって、の傍へと腰を下ろして向き合った。


「本当の 真実 から」

「本当の真実?」

「期待されることも 何かを求められることも …愛されることも あなたは嫌いだ」


薬売りはその双眸を薄っすらと細めて、を眺める。
すっと手を伸ばしての頬に触れると、その冷ややかな手にはぴくりと肩を揺らした。


「自信が ないんですよ」

「……ちょ、」


音も無く、頬を滑る手が離れる。
薬売りが少し身を乗り出すと それと同時に咄嗟に身を引いたはバランスを崩して畳の上に倒れこんだ。
薬売りは両手を畳の上について、驚いているの上に覆い被さる。
の着物の裾からは、普段は見ることのない 柔らかな太腿が覗いた。
割って入れるのは自分の体だけと知っている薬売りは その二本のあいだに膝を立てて覆い被さり、を見つめる。


「自らを信じること、それが恐ろしいのは 信じたとおりに結果が出ないことが恐ろしいから」

「……そうよ、だから期待される自分も 愛される自分も 信じてしまう前に否定する」

「しかし逃げは解決にはならない」

「わかってる だけど 期待にこたえられなくて落胆されるのも 愛されてると信じて裏切られるのも 嫌なの」

「だがもしここで私が"裏切りませんよ"、と 言ったとて 何も信じないあなたの何が 変わるのか」


そう言って、の言葉に、薬売りは再びその目を細めた。
風の吹く音がする。


「…信じる方法は 自分で 探さなくてはいけないのね」

「他人が何を言った所で 信じる信じないはこちらの自由。 …他人は他人だ。自分を 見失ってはいけない」

「……やってみるわ」


は微笑んで呟いた。
ゆらゆらと、微かに 薬売りの首飾りが波の揺れに身を任せて揺れている。
お互いに沈黙したまま、見詰め合って しばらくのこと。
夕暮れも終わりに差し掛かる世界を船の窓越しに知って、は覆い被さる薬売りの腕に手を添える。
薬売りは自分の腕に添えられた指先に視線をやって、目を細めて口元だけで笑った。
笑みを湛えた低い静かな声音が の耳元を掠めて首筋に消える。


「……取って食っちまいますよ」







やわらかな闇に 影が揺れた






ゆらり









船室ロマンティック



0107 2008
くらやみにとけてかくれるぼくらのあいじょう