ふ、と蜂蜜の匂いがした。それは、生まれた時から、いつもの傍にあった優しい匂いだった。はみんなのことを脳裏に思い浮かべる。みんなとは、の家族のこと。マルティージョファミリーのこと。みんな、この匂いをくぐって、外に行き内に帰ってくるのだ。はその甘い匂いによる想定外の覚醒に、そっと瞼を持ち上げる。もちろん、何も見えやしない。そこにはただ、いつもの暖かな暗闇が広がっているだけだ。いつも通りの光景。いつも通りの夜。しかし、は少しばかり口許を緩めて息を吐いた。この部屋に満ちる蜂蜜の匂いがいつも通りのものではなく、誰かが連れてきたものだということはもちろん、さらにはそれが誰によるものであるのかさえ、にはお見通しであったのだ。


「.....フィーロ」

「........あーあ起きちまったか」


はベッドの上に起き上がることもせずに、その声を瞬き一つで受け止める。心地よい低音のヒールの音がして、ぎし、とベッドの片岸が音を立てて軽く沈む。柔らかな蜂蜜の匂いがすぐ傍で笑った。


「なんでわかった?」

「蜂蜜の匂いがしたから」

「そっか」


そう言って、フィーロは少し口を噤む。さら、と細いキャラメル色の髪が天井を見上げる彼の動きに合わせて流れるのを、は暗闇に慣れた目でじっと見つめた。恐らく、先ほどわたしが出した答えは彼の問いに対する模範解答に程遠いものだっただろう。しかし、それでも、彼は何も言わなかった。つまりそれは、先ほどの問い自体が単なる挨拶代わりだったということだ。彼の沈黙だけでは肝心の模範解答が何であったかは分からないが、少なくともそれで、その問いが彼がここに来た目的とは何ら関係ないものだということは容易に推測できる。は彼の、未だ姿を見せない真の目的に備えてベッドの上に身を起こそうと思った。しかし、突然ベッドの縁に座ったフィーロが片手でそれを制して立ち上がる。


「あ、いい、寝てろよ俺はもう行くからさ」

「え」

「その、顔をさ、ちょっと、見に来ただけなんだ」

「フィーロ」

「俺、まだ仕事あるから」


それじゃ。フィーロは少し困ったように笑って、扉へと足を踏み出した。パタン、と軽い音がして扉が閉まると、ベッドの中で、はひとつ息をつく。一体、何だったのだろう。本当に顔を見に来ただけだったのだろうか。それとも、何か他に用事があったけれども日を改めようと思ったのか?いや、実は単純に悪戯をしに来ただけなのかもしれない。でも、そうじゃなければ、或いは、或いは、もしかして。じんわりと頬が熱くなるのを感じて、すぐにはその思考たちを隅へと追いやった。他人の考えていることなんてどうせいくら考えても分かりっこない。明日目が覚めて、まだ気になるようだったらフィーロに聞いてみよう。そうして一度フィーロの顔を思い浮かべて、はそっと目を閉じた。





い描くだけのィナーレ




(寝てたらキス、とか、できたのかな)(おう、どうしたフィーロ顔赤ぇぞ!)(なっ何でもねーよ!)
022009