彼は何でも知っていた。わたしのパパが知らないことも、本に載っていないことも、ニュースで流れないことも、わたしが言わないで黙っていることも。本当に、何でも。いつもロニーだけは全部知っていた。だから、わたしはある日ふと思ったのだ。そんなことが出来るロニーはきっと神様だ、と。

「ロニー」
「なんだ」
「ロニーって神様?」
「...、お前はそんなものを信じているのか」

ロニーは呆れたようにこちらを見遣る。どうやら違うらしい。さすがにそこまで大仰な存在ではないのか。なんだ、とわたしは外れた当てに小さく肩を落とした。だが、しかし、それでは彼は何なのだろう。ぐるぐると思案する。もはやわたしの頭の中には、「人間」という選択肢はまるでなかった。神でなければ、天使か悪魔かなのだろうが、まさか天使と言うことはないだろう、それにしては顔が怖すぎる。

「おい」
「なに?」
「....まあいい」

ロニーが溜息をつくように風下に向かって煙を吐き出す。ゆらゆらと、それは風上にいるわたしの鼻先を掠めることもなく遠退いていった。煙草の匂いは少しもしない。彼はわたしが居る時は中々煙草に手を出さないし、吸う時もこうしていつもわたしより風下に立って煙草を吸った。決して煙草が苦手な訳ではなかったけれど、ありがたいことだと思う。悪魔だか天使だか神様だか仏様だか知らないが、やさしいひとだ。

「ロニー?」

ふと視線を感じてロニーを見れば、彼はどこか拍子抜けしたような表情でわたしを見つめている。銜えていた煙草を手に持ち直して壁に押し付けながら、彼は微かに声を押し出した。押し潰された煙草の先からは未だ煙が苦しそうに燻っている。

「お前は...変な奴だな、いきなり人のことを神だと言ってみたり顔が怖いと言ってみたり、かと思えば優しいと言ってみたり」
「あたしは顔が怖いとも優しいとも言ってないわ、思ってただけよ」
「考えているという点ではどちらも同じことだと思うが」
「言うのと思うのは右と左、白と黒みたいな違いなはずなんだけど?」

すぐ傍の蜂蜜屋の扉が開いて、カランカラン、と軽やかにベルが鳴る。慣れ親しんだ甘い匂いが肺いっぱいに流れ込む。目の前の道を店の中から吐き出された老夫婦が楽しそうに談笑して去っていくのを、わたしはなんだか羨ましいような、微笑ましいような気持ちで眺めた。いいなあ。長年連れ添える優しい人と出会って、恋に落ちて愛し合ってゆっくり年を取って、たくさんの子供や孫に囲まれて晩年を過ごせたら、一体どんなに幸せだろう。

「まるで夢見る乙女だな?」
「.......だからね、ロニー、どうしてわたしの考えてることが分かるのよ。やっぱりあんたって神様なんじゃないの?」
「それはない」
「じゃあ天使?」
「にしては顔が怖いんじゃなかったのか」
「そうか、そうだった」
「まったく物忘れの激しい奴だ。まあいい。俺の事はそのうち教えてやるからあまり考えるな」
「そのうちって?」

店に戻ろうと歩き始めたロニーは、わたしの質問を視線だけで受け流すと、そっと蜂蜜店、アルヴェアーレ、のガラスの扉を開いた。恐らくこの質問は保留、ということなのだろう。カラン、と先ほどよりも柔らかにベルが鳴る。すっとドアの脇に除けて道を譲るロニーにお礼を言えば、彼は瞼を伏せて笑いながら僅かにかぶりを振った。わたしはそれに微笑んでから、店の奥でわたしを呼ぶセーナに返事をする。彼女の許に駆け寄る際に背後で何かが聞こえた気がしたけれども、それは蜂蜜の匂いに埋もれて結局わたしには何なのかわからなかった。





「長年連れ添える優しい人と出会って、恋に落ちて愛し合ってゆっくり年を取って、たくさんの子供や孫に囲まれて晩年を過ごせたら、か。悪魔に願うにしては随分と可愛らしい願い事だが.......まあいい。面白そうだ」












午前零時の鐘は鳴らない




090303
(あったはずの夢の終わりは食べてしまった)