目が覚めたら、そこは見知らぬ廃工場、のような場所だった。肌寒い隙間風が頬を撫でて、去っていく。はその風が自身を目覚めさせた元凶だと確信した。寒いな、と思いながら、鈍い痛みを訴えてくる頭をさすろうとしたところで、ははっと体を起こす。腕が、縛られていて自由が利かない。それに、着ている衣服もすごく、薄着だ。は小さく俯いて赤面した。お腹の辺りがすーすーする、その格好こそ、世間で言う下着姿、というものであった。公共の場で下着姿をさらす、という生れて初めての破廉恥な体験にショックを受けながら、それでもはここがどこでなぜ自分がここにいるのか、という極めて重要だが残念ながら何らかの理由で自身の脳内から欠落してしまっている情報を探した。


「お目覚めか?お嬢さんよお」


誰、と鋭く声を上げようとして振り返ったはしかし、そこに立つ人物を見ると一転して口を噤んだ。声を発した人物の後ろから、さらに三人の人影が浮かび上がる。このガンドールの縄張りで、4人組。ダラス・ジェノアードだ。は瞬時に理解した。しかし、だとするとこれもすべて彼らの仕業なんだろうか。買い物に出掛けた憎い敵の恋人を突然襲って意識不明にした挙句、どこかも分からぬ廃工場にこんな破廉恥な格好で縛り付けるだなんて今時どんな安い映画でもやらないこの演出。ああ、なんだか、陳腐過ぎて自分のほうが恥ずかしくなってきた。見覚えがあるその男の顔を見つめる彼女の顔は呆れているようであったが、胸中はしょうもない男を憐れむ気持ちで満ち満ちている。


「ダラス、あなたねえ」

「あーん?なんだよ?」


は乱雑に顎を掴んで上へ向かせるダラスに眉を顰めながら何とか事態の把握を急ごうとした。とにかく、何かされる前に逃げ出すか、そうでなければラックたちが助けに来てくれるまで何とか時間を稼がなければいけない。しかし、逃げ出すと言っても武術は防衛程度しか出来ないし、そもそも4対1では分が悪すぎる。かといって、ラックたちがいつ助けに来てくれるかも分からない。ああ、どうすれば。もっと色々と思案すればいい案はいくらでも出ただろうが、生憎とラック以外の男に性的好奇心を持って触れられることに慣れていないは何の名案も得ないままそこで思考することを断念した。触れてくる手に気を取られて考えるどころではない。ただし、それでもひとつだけ、頭の中に浮かんでいることはあった。


「怖くて声もでねえか?ははっ」

「....あんたなんて怖くないわ」

「...何だと?」

「ねえ、ダラス。本当に<怖い>人は話し方がお上品だって、知ってた?」


そう言っては口端だけでダラスに笑う。これは本当のことだ。ラックも、マルティージョのロニーもマイザーもみんな丁寧な物腰で人と接する。彼ら以外に関しても、が知る限り、上品な言葉使いをする人こそ本当に力のある人間だった。キィ、と微かな音を立てて風が流れ込んでくる。相変わらず、肌寒い風だ。は小さく身震いをした。それから、ダラスがうんともすんとも言わなくなったので、てっきりは彼を怒らせてしまったのだと今度は顔を伏せてその身を恐怖に震えさせた。しかし、肌寒い隙間風と共にカツカツと軽快な音が三人分、同じリズムで近付いてくることに気が付いてぱっと顔を上げる。の顔には希望が満ちていたけれども、先ほどから沈黙していたダラスの顔は酷く蒼白だった。


「おや?今晩は、ダラスさん」


立ち止まった三人のうち、真中にいた一人が柔らかな声で挨拶をする。蒼白だったダラスの顔色は土気色でもはや目も当てられないほどだ。


「ララララックさん、なんでここに」

「私の大事な女性が買い物に行ったっきり帰ってこないので、心配になって探しに来たんです。いくら張り切っていたとはいえ、買い物がこんな夜遅くまでかかるはずもないですし。ベル兄には夜遊びじゃないのかと言われましたが生憎私はそんなに心の広い人間でもないのでその手のことは許していない。加えて彼女は臆病ですから、夜は一人で歩きたがらない。ね、可笑しいでしょう?そんな子が帰ってこないなんて。それで彼女の居場所を探してみたら、偶然にもあなたに出会ってしまった訳ですが....」


そっとに着ていたジャケットを掛けてやりながら、ようやくラックは言葉の間に全休符を置いた。ジャケットを掛ける際に触れたの肩が酷く冷たいことに気が付いて、すぐさま寒くないようにと自分の中折れ帽も目深に被せてやる。持っていたナイフで手首を縛っていた縄を切ると、思った通りに縄の痕が少し赤くなって残っていた。ちくりと胸の奥が痛む。自分のせいで大事な人が傷付くことほど哀しい憤りを感じることはない。


「これはどういうことです?ねえ、ダラスさん」


ラックが振り返ってそう尋ねる時には、既に鈍い音が数回響いていた。ラックは、二人の兄が気品の欠片すら感じられないチンピラ集団を一方的に打ちのめしているのだろうと思ったが、実際のところはベルガがすべて一人で片付けてしまっていた。四人組は、まるでコメディのように為す術もなく彼一人にやり込められている。それはまるで仕組まれた演劇の様であると同時に酷い早業であったので、ラックがはっとしてベルガを止めに入る頃には、既に口を利ける状態の人間は一人も残っていなかった。ああ、とひとつ溜息をついて、ラックは苦笑する。


「なぜを攫ったのか、言い訳の一つでも聞こうと思ったのですが」

「...................聞く価値もない」

「ははは、確かにキー兄の言う通りだ」

「ラック」

「おいで、


いつもそうするように、隅で事が収まったのを見届けてがラックの傍に寄ると、ラックはを抱き上げながら帰りましょうかとのんびり呟いた。帰り際までベルガは腹の虫が治まらなかったようで、泡を吹いている男をしきりに蹴りつけながら「弟を悲しませやがって」やら「ゲス野郎どもが」やらと猛々しく咆哮している。はラックに抱き上げられながら何だか暖かい気持ちでその様子を眺めた。彼らはみな闇の中にぽつりとある螺旋階段を下りていくしかできない、裏の世界の人間だ。世間に認められることもなく、表舞台に上がれるような褒められる職業でもない。だが、だからといって人間が出来ていない訳ではない。彼らは自分で闇に足を踏み入れることを選んだだけであって、中にはこんな風に自分以外の誰かのために命を懸けたり必死になったりすることができる、強くて優しい人たちが大勢いる。


「ありがとう、ラック」

「怪我はありませんか」

「うん」

「それは良かった」










ミミ・エデン








(生まれ落ちた瞬間のように、理由も自覚もなく あなたを愛している)
030709