ゆっくりと、影が瞼の上を動いてはそっと夢から目を醒ます。
なんだかとても、優しいような、詰まらない様な、そんな曖昧な、ぬるま湯のような熱さの感覚だけが体内に残されていた。
何を見ていたか思い出そうとしても、何の夢だか頓と分からない。

「...ん」

体の筋肉を解そうと無意識に少し身動ぎをすると、小さく何かが軋む音がした。
ここは、どこだっただろう。
わからない。
でも、背中に素っ気無くシーツが触れているのはわかったので、ベッドの上だと判断する。
それなら、先程の軋みもベッドの骨組みの音だと説明がつく。
きっと今は朝で、私は夜の間の睡眠から逃げてきてここにいるんだろう。
しかし果たして逃げてきたものは一夜の睡眠だったのか、それとも何度も何度も繰り返され続ける夢だったのか。
少しばかり考える。
わからない。
思い出せないというのに、疑問ばかりが浮かんできて嫌になった。
ごろん、と寝返りを打って煩わしい思考を遮断する。
再び眠りにつこうとすると、今度は煩わしい思考の代わりに慣れた匂いが鼻先を掠めての脳を支配した。
覚えのある匂い。
これは煙草だ。

「なお、ふみ」
「はーい」

が意識するよりも早く音になった名前に、待ち侘びたように返ってくる声がある。
ああ、彼だ。そう思って再び今度は逆方向に寝返りを打つ。太陽の光が眩しくて、目の奥が痛んだ。
数秒目を伏せて、なんとか目が慣れた頃にゆっくりと双眸を開けて匂いのするほうを見れば、確かに予想通り、そこに居たのはが名前を呼んだその男。
口元に煙草を咥えて、枕の上に肘を付いて、太陽に背を向けてこちらを見ている、が知る限り、一番背の大きな、永遠のこども。
その双眸はいつもと変わらない綺麗なキャラメルの色で、その視線はいつもと変わらない優しいものだ。
いつも見ている顔なのに、いつ見てもどきどきする。
煙草を離して、その唇でキスして欲しい。
その力強い大きな手で、優しく頬を撫でて欲しい。
低くて穏やかなその声で、もっと名前を呼んで欲しい。
見つめる間に浮かぶ思いは挙げていったらきりがない。
ふと、何を思って彼はわたしを見つめているんだろうかとは思った。
暖かな手が慣れたようにわたしに触れて頬をなぞるのを心地良く思いながら、そっと一度、瞬きをする。
唇の合間から緩やかに灰色の煙を押し出すと、土岐野は咥えていた煙草をベッドの傍に持ってきていた灰皿の上で押しつぶした。
浮き上がる筋肉のしなやかな動きがの目を惹きつける。

「よく寝れたかな?お嬢さん?」
「いつから...」
「...ずっと。」
「ずっとって?」
「わからない。時間なんて、気にしなかった」
「...そう」
「体、辛くないか?」
「.....ねえ」
「うん?」
「クスミにも そうやって訊くの?」

不意に自分の口をついて出た言葉に、ははっとして目を見張る。寝惚けているせいじゃない、そう判断できるくらいには意識ははっきりとしていた。
無意識のうちに嫉妬していたのか?いや、そんなまさか。わたしはしっかりと分別をつけていたはずだ。彼女は彼女で、わたしはわたし。
どちらが大事かなんて訊いたところで何の意味もないし、その答えに選ばれたって日常はなにも変わらない。
わからない。なぜそんな言葉が飛び出してしまったのかも、実際のところわたしがどう思っていたのかも。
ただ、それを考えるとわたしはわたしがわからなくなった。でも、わたしって、なんだ。繰り返し、繰り返し、浮かんでくる疑問。
とにかく、沈黙したこの場をなんとかやり過ごさなければと思って咄嗟に謝罪の言葉を用意する。
その間も、土岐野はわたしの横で、ただ枕に頭を預けて天井を見つめているだけであった。
何を考えているのかはわからない。
しかし、土岐野がなにも言わないので、少し焦ったわたしの声は寝起きだというのに少しだけ大きくなった。

「土岐野」
、」

不意に何を言う様子もなかった土岐野がわたしの声を遮って名前を呼ぶ。負けた。そう思った。彼の声音の方が幾分か強くて、わたしの謝罪の言葉は喉元で怖気づいて出てこない。

「キルドレがキルドレを、好きになるってのは」

カチ、カチ、と、時を刻む時計の針の音が数回ばかり耳に飛び込んでくる。
どこかの部屋のドアが重たい音を立てて開く。

「そう簡単なモンじゃない」

ざあ、と窓のすぐ傍を風が流れていって、バタン、と大きなドアが閉まる音がした。
木造の床は、敷かれた絨毯越しに踏まれる度にぎし、と優しい音を奏でて軋む。
カチ、カチ、カチ。
ゆっくりすぎるほどに穏やかに流れていく時間。
何度、私たちはこの音を聴いてきただろう。
考えたって、答えはわからない。
それなのに、そうと知っていて尚やめることのできない、それは永遠の問い掛け。

「死んでは生まれ、生まれては死ぬ。何度それを繰り返しても、決して終らない。進展もしない。忘れることだって出来ない」

この苦しみを、彼もわたしもずっと前から知っている。
土岐野の声を聞きながら、ふと、はそんな気がした。

「どれくらい昔かは知らないが、それでも昔の俺だったら間違いなくそんなものには手を出してない。、俺がお前を、キルドレがキルドレを好きになるってことは、」

土岐野はゆっくりとを見詰めて、そうして丁寧に、一度途切れた言葉の先を続ける。


「つまりそういうことなんだ」


カチ、カチ、と、時を刻む時計の針の音が数回ばかり耳に飛び込んでくる。
ゴウ、と音を立てて、窓の外を戦闘機が眩しそうに飛んでいった。









多大なる覚悟の上に成り立つ日常










090608
(半端な気持ちじゃ永遠なんて誓えない)