わたしは自分のベッドにごろりとうつ伏せになって本を開く。読む時間さえあれば活字中毒者並みに本を読むわたしだったが、いま目の前に広がっているのはそんなごちゃごちゃとした本ではなくて、どちらかというと写真集、に近いものであった。にやにやとしながらページをめくる。すると、ベッドに背を預けるようにして床に座り込んでいた男が気だるそうにこちらを見遣って溜息をついた。一番隊隊長、不死鳥のマルコであった。
「なァにニヤニヤしてんだよい」
「ん?手配書集みてるのよ」
「良い男でもいたか」
マルコは持参した酒瓶を片手に大して興味もなさそうに尋ねる。わたしが本来の目的とは違う用途でこの本を見ていることなど、彼は疾うの昔に突き止めていた。ベッドの上に乗せられた彼の左肘が、わたしのわき腹に僅かに触れている。わたしはうーんと言って迷うようにページを捲った。見覚えのあるような、無いような顔が、目の前に現れては消えていく。道化のバギー。残念だけど赤っ鼻は対象外。ミスタースリー。ずるい男も対象外。ああ。
「クロコダイルは好きよ」
「おまえ趣味悪ィなァ」
「そんなことないわよ」
ぱら、ぱら。真夜中少し前の寝室に紙の滑る音がする。男は美味そうに酒を飲んでいる。女は楽しそうに本を読んでいる。なんだ、もしかして、いま、私たち、世間様の模範になれそうなカップル像を描いていないか。一瞬ばかりわたしはそんなことを思ったが、すぐに、なんでそんな考えに至ったのか甚だ不思議になった。どうやったらそのふたつで模範になれるのか、全然わけがわからない。気を取り直して、再び目の前の本に意識を向ける。ユースタス・キッド。悪くない。でもあんまり好みでもない。トラファルガー・ロー。
「....おや?」
「なんだ」
「まさかの展開だよ、マルコ、わたしのタイプがいる」
「誰だよい」
「ロー。トラファルガー、ロー」
「ルーキーじゃねェかよい」
「いいじゃない、わたしだって年齢的にはルーキー世代だわ」
笑いながらトラファルガー・"イケメン"・ローの手配書をまじまじと見る。やはり目を引く容姿だ。中身はよくわからないが、それでもわたしは、できることなら一度、彼に会ってみたいと思った。マルコはそんなわたしを見て僅かに失笑しているようだ。背後で微かな笑いの気配がする。ちょっとだけ本の端を折って、再びページを捲る。キラー。顔が、見えない。バジル・ホーキンス。なんていうか、怖い顔だ。スクラッチメン・アブー。愉快そうだが全く惹かれない。X・ドレーク。へえ。
「この人もすき。ドレーク」
「堕ちた海軍将校かい」
「堕ちた?そのミステリアスさ、惹かれるわ」
「ダメな男に引っかかるダメな女の発言だな」
「うるさいよい」
「真似すんな」
小さく肘でわき腹を小突かれて、わたしはくすぐったさに笑う。その間に、マルコは空けてしまった酒瓶をごろりと床に転がして、わたしの乗るベッドの縁に腰を下ろした。ページを捲るわたしの手は止まらない。マルコは何も言わずに腕を組んで、わたしの捲る手配書集を眺めている。
「あ!エースの弟」
「こいつは一癖ありそうだよい」
「エースの弟には手ェ出せないわね」
「残念だったな」
「冗談よ、でも、いい笑顔だわ」
それから麦わら海賊団が続いて、特にコメントを寄せるほどでもない方々が並ぶ。ふと、欠伸を噛み殺しながら捲ったページの人物に、思わずわたしは一瞬ばかり、手を止めた。ほんとうに、ほんの一瞬の、無意識下での行動であったが、マルコはそれを見逃さなかった。今度こそ彼はわたしの僅か後ろで喉を鳴らして笑いだす。女海賊。ジュエリー・ボニー。
「ちょっと、かわいい...よね」
「まあ、悪くはねェよい」
わたしはマルコの返事を聞きながら本を閉じる。大きな音をたてないようにそっと床に下ろすと、マルコは一度わたしの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でて、ゆっくりとわたしの上に覆いかぶさった。まあ、悪くない。マルコの言葉が脳裏で蘇る。わたしはなかなかの美人だと、思ったのだが、彼にとってはそうでもなかったらしい。同意されなくて嬉しいような、残念なような、不思議な心地だ。ではこれはどうか、とわたしは脳裏に浮かんだある人の名前を口にする。美人といえば必ず挙げられる有名人。
「じゃあ、ハンコックは?」
まだ続くのか、とマルコは若干面倒くさそうな顔をした。それでも、少しばかり考えて、彼は口端で笑う。
「ありゃあ詐欺だよい」
「なんで」
「かわいすぎる。」
「...男って、馬鹿だわ」
「なんだ、知らなかったのか」
わたしが僅かに目を眇めると、マルコは至極面白そうにまた喉を鳴らした。わたしは再び口を開いたが、しかし果たしてそれは口にしてもいいものかどうか、判断しかねてほんの僅かの間躊躇した。マルコの唇がわたしの唇を食んで、そっと離れる。そうして彼は首筋に唇を這わせながら、何だよい、と言った。
「わたしは?」
胸に触れる手のひらの感触に僅かに息を乱しながら、わたしがそう問いかけると、わたしの上にいるマルコはひとつ、口端だけでいやらしく笑った。その双眸は、ぎらついて本能的な欲望に満ちている。燃え盛るような、少し怖い欲情の視線。不意にわたしの額を撫で上げて、バカはお前だよい、とマルコは言った。そうしてそれっきり、彼は一切口を噤んでしまう。けれども、与えられたその一言だけで、なんだかわたしは酷く納得したような気がした。そうか。
なるほど、愛とはそういうものか
032510
(かっこいいと好きは違う)