「おい、マルコ」
「なんだよい、オヤジ」

おれに仕事をしろと叱られたが酷く詰まらなそうにオヤジの傍を後にするのを両腕を組んで見届けながら、呼ばれた声に返事をすると、オヤジは片目だけでおれを見てにやりと笑った。

「おめえだな?」
「ん?」
のことだ」
?あいつがどうしたんだよい」
「ついに俺の嫁にはなれねェって言ってきやがった」
「な...!」
「グラララ!マルコ、おめえおれの可愛い娘をたぶらかしやがってこの大バカ野郎め」

おれは予想だにしていなかった話題に目玉が出るほど驚いた。別に隠していたわけではなったが、それでもわざわざ公表するものでもなかったので、こうして知られるのは珍しい。いや、知られることは、恐らくそう珍しくはないんだろう。知っているぞとわざわざ面と向かって言われることが、珍しいのだ。全く、オヤジも意地の悪いことをする、と思いながらどう返事をすべきか考えていると、再びオヤジが笑い出した。

「まったく、敵わねえな」
「...なんだよい、急に」
「おめえもも、俺の知らねェ間にでかくなりやがって」
「ウソだろオヤジ...おれはともかくに至っては滅茶苦茶手ェかかったじゃねえかよい」
「いいや、あいつに手ェ焼かされたのはおれじゃなくておめえだよ、マルコ」

そう言ったオヤジの言葉は、ひどく何かを懐かしむような、何かを慈しむような音をしていた。おれはその一言についに言葉を失って、そうしてただただ、の去って行った方向を見遣る。そうか。確かに、言われてみれば最初からあいつの面倒を見ていたのはおれだったような気もする。昔のことを思い出して、おれは小さく吹き出した。気がつけばガキだったあいつがこの船に来てから、もう随分と経つ。

「おれも年取るわけだよい」
「アホンダラァ、おれにとっちゃあおめえもまだまだひよっこよ」
「...オヤジだけにゃ敵わねえなァ」

横になったまま、オヤジは愉快そうに笑っておれの頭を豪快に撫でた。この年になってまで親に頭を撫でられるというのは少々気恥かしかったが、それでも今も昔も変わらず、オヤジに頭を撫でられるのは嬉しいものだった。おれ達息子はこの人にぶん殴られることこそ多々あるものの、撫でられるということは滅多にない。おれがくすぐったさに笑うと、オヤジは手を離してそれをのいなくなった腹筋の上に乗せた。それからオヤジは再び両目を伏せてひとつ溜息をついたので、おれは彼がもうひと眠りするのだろうと察して、おれも仕事に戻るよい、と言った。奇しくもが去っていった方向に足を踏み出すと、背後で再び昼寝を満喫し始めたはずのオヤジの声がしておれは一度振り返る。海の上に響くオヤジの声は、相変わらず何かを懐かしむような優しい音だった。


「マルコ」
「うん?」
「おれの大事な愛娘を泣かすんじゃねえぞ」
「.......ああ、もちろんだ」









きみのために残せるものなど何もないけれど








040110
(あなたの笑顔ひとつのために奮闘する人がいる)