白ひげ海賊団の海賊たちがオヤジと呼ぶ、その男にはじめて会ったのは随分と前の話だ。そう言えばきっと彼はまたどこぞでくたばり損ねた爺の様に、「おれにとっちゃァ昨日のようだ」と言って寄越すのだろうけれど、それでも、わたしたちの人生が初めて交差したその日から、この世界では実に30年もの月日が流れていた。長い年月だった。でもやはり良く考えて思い出してみると、あっという間だった気もした。彼が40歳、わたしが20歳の時の出会いの日を、確かにわたしは今でも昨日のように思い出すことができるのだ。不思議なモンね、とわたしが呟くと、横に座っている白ひげ海賊団船長、エドワード・ニューゲートは異星人でも見るかのような訝しげな顔をしてわたしを見つめた。そんな彼の様子には何も言わずにそっと、わたしは椅子の肘掛に乗せられた彼の手に自身の手を重ねる。数多の海賊たちをその名ひとつだけで退けてきたほど貫禄に満ちた彼も、わたしにとってはただの愛しい男でしかない。ニューゲート、と静かに彼の名前を呼ぶと、今度は彼が何も言わずにわたしの手を握り返した。皺だらけの手にも、傷だらけの胸にも、点滴のチューブをいくつもつけた彼の姿には、もうだいぶ慣れたつもりでいた。けれども、それでもやはり わたしの胸は鈍く痛んだ。


「そろそろ誕生日ね」

「ああ...そうだった気もするな」


胸の痛みから逃れるように話題をすり替えたわたしを、知っていて彼は知らない振りをした。相変わらず、男の癖によく気が付いて、そうしてよく気の回るひとだ。彼は昔からそうだった。時機を読むのも、人の扱いも、昔から飛び抜けて上手かった。それに、財宝に飢えた他の海賊たちとは、明らかに違っていた。そんな彼を周りは変だと笑ったけれど、わたしが惹かれた理由はそこだった。彼が強かったとか、海賊王になれるかもしれないとか、そういうことはまったくもってどうでもよかったのだ。とはいえ実力もあって将来を見込まれてすらいた彼のような海賊が、ただ同じ船に乗り合わせた仲間としか言い様のないわたしのような女に、どうして惹かれたのかは分からない。


「ニューゲート」

「なんだ」

「どうしてあたしを愛したの?」

「...」


波の揺れる音を聞きながら、わたしは自虐的な笑みを殺しきれずに唇に湛えた。これではまるでそこらの若い女と一緒だ。30年も連れ添ってきて、今更理由なんて馬鹿らしい。ただの好奇心に唆されて出た単純な問いだったが、しかしそれを聞いてわたしは一体どうするつもりだったのか。溜息を吐くついでに、忘れて欲しい、とわたしが言うと、はるか頭上からわたしを黙って見下ろしていたニューゲートは、後悔に満ちたわたしの双眸から視線を逸らして、それを握ったわたしの指先へと落とした。そうしてひとつ、ふたつ、潮風がマストをはためかす音に耳を澄ませたあと、ようやくわたしへと視線を戻す。


「お前が欲しがってたモンが財宝じゃァなかったからだ」

「...そうだったかしら」

「ああ、そうだった」

「そう...」


彼があまりにも綺麗に断言したので、わたしは依然はっきりしない記憶に縋るのをやめて素直に、そうだったかもしれない、と思った。もしかしたら、彼はわたしには見えないわたしを見ていたのかもしれない。わたしが、他の海賊たちには見えない彼を見ていたように。もしも本当にそうだとすれば、それは何だかとても喜ばしいことのように感じられた。思わずわたしが微かに笑みをこぼすと、彼は緩やかにわたしの手を解放して、甲板で談笑したり仕事をしたり新聞を読んだりしている彼の息子たちへと視線を向けた。




「いやよ」


彼が何を言おうとしているのかを悟ったわたしは即座に否定を口にした。それを口にする度、わたしの胸にはこの世の何とも比べ物にならない感情が満ち溢れた。間違いなく、わたしたちの人生が初めて交差したあの日から、この世界では実に30年もの月日が流れていた。それは確かに長い年月だった。それでも、わたしはその日が来るのを知りたくなかった。認めたくもなかったし、考えたくもなかった。しかし同時に、長い年月を過ごしたせいで色んなものを見てきたわたしは、やはり理解してしまうのだ。


「おめェは本当に仕様のねェ女だ。まだそんなガキみてえな事を言いやがるのか」

「ええ、言ってやるわ、何回でもね」


わたしは呆れたような彼の声には視線を動かさずに、ただ真っ直ぐに彼の愛する息子たちを眺める。年も背格好も出身も特技も信条も何もかもがまったく違う男たちが、みな揃って同じように、一心不乱に守りたいと思っているたったひとつの存在がある、というのは、奇跡のようなことだ。しかしこの奇跡のようなことが、奇跡のようには起こらなかったことをわたしは知っている。たった一人の男のひたすらな努力が、身を結んだ結果だということを知っている。わたしはひとつ溜息を吐いて、ひとつ静かに瞬きをした。そうして頬を撫でる愛しい男の手のひらの温かさを身に焼き付けながら、今度こそ涙を堪えて笑うのだ。この世界でいちばん大切なたったひとつの命のために。


「ニューゲート、あんたは本当に仕様の無い男ね」

「グラララ...、俺はおめェと連れ添えて幸せだ」










きっとこれからずっとしあわせ







040610
(オヤジ、たんじょうびおめでとう!)