白ひげ海賊団の海賊船、モビー・ディック号の一角にある自室で何となく寝付けずにいたわたしは、しばらくの間ベッドの上で、眠りたがらない自分を持て余していた。眠れない、ということは今までにも幾度かあったが、何度経験しても対応に困るばかりでこれといった解決法は見つからない。始めこそ大人しく睡魔の到来を待ってみたが、あまり気の長い人間ではなかったわたしは半刻もすると痺れを切らして結局ベッドから抜け出した。木製のドアを押し開けて外へ出ると、一陣の風が頬を撫ぜていった。たっぷりと潮の薫りを含んだ風であった。ひとつ伸びをしてゆるゆると甲板へ向かう。昼間は多くの船員たちで賑わいを見せる通路も、夜も遅い時間となるとすっかり静まり返って伽藍堂としている。そこを、絶え間ない波の音を聞きながら、頬や指先に風を受けて歩んでいくと、丁度甲板が見える辺りで酒を飲んでいた5番隊と3番隊の隊長であるビスタとジョズに出くわした。彼らはわたしに気が付くと、すぐに人好きのする笑顔でわたしを呼びつけて、、どうだお前も一杯やらないかと至極楽しそうにわたしを誘った。それどころか、ビスタに至っては誘いながらわたしの肩を抱いて強引に引き込んでゆくので、わたしは冗談で溜息を一つ落として、仕様が無いわねと言って彼らの輪の中に加わった。彼らが座り込む傍の木箱の上に腰を下ろしながら、酒の場に女の一人も居ないだなんて嘆かわしい。そう言って口端だけで笑ってやると、ビスタとジョズは大笑いして、違いねェ、と言った。ひとしきり笑いが収まったところで、わたしは受け取った酒瓶で二人と乾杯を交わした。三人で同じように酒を呷って、親仁くさく溜息をついた親仁たちにわたしが笑っていると、何が面白かったのか、再び彼らも笑い始めて結局またわたしたちは真夜中の船上に爆笑の渦を生み出した。わたしたち白ひげ海賊団はいつもこうだった。誰かが笑えば釣られて笑い、誰かが冗談を言えばすかさず全員で突っ込みを入れてまた笑う。また、悲しみはひとつの笑顔ももたらさないが、それでもわたしたちは仲間の許にそれが訪れたとき、それを自身の胸のうちへと歓迎して呑みこんだ。この船の上のわたしたちはまるで生き残った唯一の肉親同士のように、お互いを唯一無二の存在だと認め合っていた。先ほどの笑いが治まってきたジョズに、ねえ、ジョズ、いつものやってとわたしが言うと、ジョズはその強面に優しい笑みを浮かべてひとつ頷いて、一瞬にしてその身を陸離と光彩を放つダイヤモンドへと変えて見せた。すると横ではビスタが、こりゃあ役得だなジョズ、と言ってまた笑う。わたしがジョズのきらきらと輝く宝石の体の美しさに無邪気に喜んでいると、彼は不意に、はマルコの不死鳥の姿を見たことがあるか、と尋ねた。わたしは、いいや、完全な姿は見たことがない、と言った。体の一部を変化させているのを見たことは幾度もあるが、完全な不死鳥の姿になった彼を見たことは一度もない。それに、幾ら見たいとせがんでも、見せるほどのモンじゃねェよい、と言ってマルコは決してその姿を見せてはくれなかった。わたしがジョズの突然の問いかけを不思議に思って、どうしてと尋ね返せば、彼とビスタは黙ってわたしを見つめて口元を緩めるばかりで碌に返事もしようとしない。ねえ、とわたしが再びそんな二人に問いかけようとして僅かに身を乗り出すと、ふっと、遠く透き通るような夜空に煌く光が目に付いた。きっと星の破片の落ちていく光だろうと思ったが、夜空から振り返るとそこにいるはずの二人の姿が忽然と消えていたので、わたしは先ほどの彼らの笑みの理由に思い至って、慌ててその光に視線を戻した。それは、シリウスの零れ落ちてきたような光であった。迷うこともなく真っ直ぐにこちらへと向かってくるのを眺めている間もないほど、光はぐんぐん近付いて形を成していく。そしてついにサファイヤを燃やして光るようなそれが、見たこともない鳥の姿だと完全に認識できる距離までやってくると、いつの間にか溢れそうだった透明な涙がわたしの頬を伝って落ちた。声などどうやっても出なかった。わたしは瞬きさえ忘れるほど夢中になって、青い光に包まれた鳥が目の前に降り立つのを眺めていた。そのうつくしい鳥はわたしの傍に降り立つと、何を言うでもなくただ黙ってこちらを見つめてくる。近くで見れば、煌々と燃える炎に包まれたその様子は、綺麗という言葉が怖気付くほどにうつくしかった。わたしは相変わらず紡ぐ言葉を失ったまま、恐らくは世界で一番美しい鳥に見蕩れ続ける。絶え間ない波の音がする。潮の匂いを運ぶ風が頬を撫ぜていく。ゆるゆると薄い雲が音もなく夜空を流れていく。涙が零れ落ちる。マルコ、と長い沈黙を破ってようやくわたしが涙に滲んだ声でその名前を呼ぶと、彼は嘴の先でわたしの頬を伝う涙を掬って小さく鳴いた。それは紛れもなく鳥の鳴き声であったはずなのに、なぜだかわたしは彼に名前を呼ばれたような気がして、なあに、と言って彼の頬へ自身の頬をすり寄せる。触れたはずの青いシリウスの炎は、不思議と少しも熱くなかった。








あがれすばる、夜のしじまをきりさいて








040810
(I love you more than yesterday, less than tomorrow.)