ゴウンゴウンと水面下から聞こえてくる微かなスクリューの音ではっと目を覚ます。見慣れた天井が、何故だかゆるゆると歪んでいた。なぜだ。そう思いながら無意識に手で目を擦って、瞳からぽたぽたと涙が零れ落ちていることにわたしは初めて気が付いたのだけれども、それは目覚めて二秒も後の事であった。心の中がざわざわする。いや、そうじゃない。これは、わたしの心そのものが、何かから逃げるように何処か知らないところへ行ってしまったような感覚だ。心の代わりに私の中にあるのは、日々の中から隔離されていた不安、孤独、恐怖、無力、不信、虚無、消極、闇、そして絶望。嫌な夢を見たが、それがどんなものであったかは、思い出せない。けれども酷く鬱々とした気分は紛れもなく本物で、いつもなら叩き起こされても強行する二度寝さえ、今はこの恐怖を増長させるようで実行する気にはなれなかった。仕方がなしにそのまま起き上がって着の身着のままで甲板に出ると、いつもならばすぐに潮風が頬を撫でて涙の痕を冷やして行くはずが、今日に限っては酷い凪で、風らしい風はひとつも吹いていない。しかし、わたしはそんなことより、視線の先の空で数多の星が煌めいていることに酷く驚いた。夜?なぜだ。不審に思ってわたしがしばらくの間呆けながら空を見上げていると、視線の先で不意にすらりと光が閃いた。それと同時に、わたしはああ、と思わず感嘆の声を上げる。そうか。時計を確認していなかった。もしもわたしが夜中に目を覚ましたのならば、空に星が煌めいていたって何の不思議もないのだ。何てことはなかった謎を解いて改めて視線を上げると、そこにはもう先程見えた光は見当たらなかった。興味の対象を失ったわたしはそのまま引き返そうと思ったけれども、そこから視線を逸らした瞬間に微かに煌めいた光が見えて咄嗟に振り返る。海の波が月明かりに反射するように繊細な、それはひとつの人影の傍で揺れていた。

、お前そんなところで何突っ立ってやがる.....寝れねェのか?」

「....ううん、別に、今から寝るところ」

見張り台の上から、その声は飛んでくる。短く切り揃えた髪に、腕に抱えた三振りの刀の影、鍛え上げられた身体。ゾロだ。間違いはない。少し逡巡して返事をすると、彼は数秒、わたしの言葉に押し黙って何かを思案しているようであった。が、すぐにふん、と鼻を鳴らして乗り出していた身を引っ込める。

「上がってこい」

「え」

「話くらいなら聞いてやる」

ゾロは相変わらず見張り台の上から姿も現さずに、些か横暴とも言える態度でそう言った。わたしはというと、彼の真意が掴めずにやはりしばらくの間呆けながらその声が飛んでくる見張り台を見上げていたのだけれども、ふと吹いた僅かの風で双眸や頬がやけに冷えることに気が付いて、ゾロが何故そのような行動に出たのかをようやく理解した。両頬を一度だけ拭ってそうして上へと続く手摺に手を掛ける。どうやら、明かりに反射して光っていたのはゾロの三つ揃いのピアスだけではなかったようだ。月明かりの中、寝起きのままで見張り台へ向かうのは、何だか、不思議な心地だった。きし、と僅かに足場が軋む。波音がそれを掻き消してゆく。わたしが上に向かう間、見張り台の上で堂と構える男は何一つ言わなかった。気をつけろよ、の一言もなければ、耳に残るのは先ほどの無愛想な言葉だけであったが、それでも一歩一歩上へ昇って行く毎に零れ落ちる涙を、わたしはどうしても止められなかった。

「来たな」

「うん」

「で?......おい、何でてめえはまた泣いてやがるんだ」

「分かんない」

「どっか痛えのか」

「ううん」

「腹ァ減ったのか」

「ううん」

「じゃあ、」

何だ。そう言い掛けたゾロの声を待たずに、わたしは狭い見張り台の上、大きな帆が僅かにたなびく音を聞きながら、ぎゅうと彼に抱きついた。ゴン、という音がしてゾロが声を上げる。さっき、目を覚ましたらとんでもなく酷い気分だったので、わたしはそれを何とかするために甲板に出ようと思った。それなのに、薄暗くて冷たい、ぽっかりと空いた部分を埋めてくれるはずの風は、今日が酷い凪の所為で一陣も見当たらなかった。ぞっとした。どうやったら、この泥沼に嵌ったような心地から解放されるのか、いや、きっとこれらはこれからずっと、一生、わたしの中に息衝いて離れないのではないのか、そんな考えばかりが頭を過ぎっては翻って、幾度も幾度も脳内を闊歩した。だからこそ、無意識のうちにわたしの興味は空へと向いたが、しかし結局、そこに瞬く永遠を旅した光でさえ、わたしの不安や、絶望や、恐怖はどうすることもできなかった。わたしは再び絶望した。だが、もういいのだ。深く息を吐いてわたしがゾロの胸に顔をうずめると、不意に彼はわたしを強く抱き締め返した。ああ。止まらない涙の理由も、わたしの心がどこへ行ってしまったのかも、今ならばよくわかる。

「こうして欲しかったなら最初からそう言え」











ありがとう、きみが守ってくれたんだね








083109