ちゃん、天使の血筋なんだろ?あんなやつに近付いていいの」

それは、奥村燐が学園に入学してその出生の秘密が知れてから、もう幾度も耳にした言葉だった。楽しく紡いでいた会話を止め視線を投げると、隣を歩く顔見知りの男が気遣わしげにわたしを見ている。わたしにその言葉を掛ける人間は、みな同じ目をしていた。満ちているのは恐怖と好奇。

「確かに、燐が100%安全な生き物だとは言い切れないわね」
「サタンの息子だぞ、安全な訳がないだろ」
「そうね」

わたしはゆっくりと彼の言葉を噛み締めるように頷いた。夕陽が差し込む廊下を歩きながら、二人分の靴音を聞く。最初こそ、こういう見方をして燐を危険視する人に腹が立ち、必死になって反論して噛み付いた。でも、考えてみたらこの反応は当然だ。彼らは燐のことをよく知っているわけでも、関わりがあるわけでもない。燐は彼らにとって赤の他人。自分にとっての赤の他人が傷付いたって、それは至極どうでもいいことだ。大事なのは、他人の名誉や心を守ることではなく、自分自身の安全。そしてそれはみんな同じ。だから、責められない。わたしだって、自分を優先させる時がある。

「やっぱり近付か」
「だから、あなたは今いる場所にいた方がいいわ」
「え?」

好奇心で近付いたり、恐怖心で避けたり、しない方がいい。わたしはやんわりと微笑んで、それじゃあと言って彼を置いて廊下の角を曲がる。人はみんな燐を怖がる。怖いのは、わかる。でも、彼の半分は人間で、彼はずっと人間として生きてきた。そしてそれはきっとこれからも変わらない。きっと彼は、どれ程怖がられ疎まれ憎まれ蔑まれようとも、ずっと人間として生き続ける。そういう意味では、彼はとても強い人だ。だけど、人と関わらず、愛されず、必要とされずでは生きていけない弱い人間でもある。だから、わたしは離れたくない。廊下を直進して、もう一度角を曲がると、夕日と柱の影の合間に見慣れた背が見えた。距離を縮めてそうっと近付き、ぎゅう、とその背に抱きついて、シャツに顔をうずめる。急なことに驚いてびくりと肩を揺らした彼は、開口一番に「お前ここ学校だぞ!」と半ば叫ぶように言った。しかし、わたしがそれに曖昧な返事を返すと、彼は仕方無さそうに頭をかいて、彼の腰に回したわたしの腕をそっと撫でた。「何かあったのか」と呟く彼の声が、酷く耳に心地良い。





ねえ聞こえてる、
夜は終わったよ

051211