わたしが誰とどんなお付き合いをしているかはずっと謎に包まれているはずだった。物凄いお金持ちと付き合っているとか(当たってる)、実は年下の恋人がいるとか(これは違う)、実は良い歳したおじ様に目をかけられてるとか(当たってる)、職場恋愛だとか(これも当たってる)。そう言った噂は兼ねがね聞こえてきてはいたが、結局誰もこれといった決定的証拠を掴めず、最終的には場数の豊富な女なのは違いないだろうというごくごく曖昧な認識に落ち着くようであった。残念ながら、男を取っ替え引っ替えして弄ぶような面倒で趣味の悪いことはしないのだが、それをわざわざ否定して回るのもまた面倒だし、人が何を想像するのも自由なので、結局外から見たわたしのイメージはそんな風なものであった。そして本当のわたしは、そういう噂の殻に守られていた、のに。

「やあ!ああ、きみはこんな夜でも美しい!」
「.............え?」
先生もしかしてアレ.....」
「さすがにアレは違うわよ..........」

非常事態に駆けつけたわたしを見るや否や、現聖騎士であるエンジェルが塔の上で特注かっこわらいの制服を靡かせて微笑んだ。エンジェルとはもうわたしが学生の頃からの顔見知りであったが、この男の、何度振られても立ち上がる不屈の精神は称賛に値すると思う。実力も金も顔も兼ね揃え、出世欲も正義感もそれなりに強くて、一途で、優しい。少し勘違い野郎でだいぶナルシストな部分を欠点として目を瞑れば、エンジェルは中々の物件だ。まあ、その欠点に耐えられればの話だが。

、まだオレの所に来る気にはならないかい」
「一度も色のいい返事はしたことないのに、まだってどういうことなの....」

呆れ返るどころか、だいぶ怖いことになってないか。エンジェルがそのままポエムでも詠み始めそうな熱いまなざしでわたしのもとへと歩み寄ろうとし、生徒らが戦々恐々とし、引率の友人が「テレビだったら消したい」と呟いたところへ、丁度良く可愛らしい破裂音が響いて二つの影が落ちてくる。悪魔を取っ捕まえた悪魔が、知人の昇格に祝辞を述べて不遜に笑う。生徒らから血の気が一気に引いて、シュラがエンジェルに応戦する。祓魔師と聖騎士がサタンの落胤を巡って正十字学園内で刃を交えるだなんて、もう無秩序という単語が50個くらい並んでも足りないんじゃないの、と思いながら、目の前の応酬に唖然とするサタンの息子、の横で悠然と構える名誉騎士であり悪魔であり学園理事でもある男に目をやると、彼はわたしの視線に気付いてウインクした。本当ならここで顎が外れるほど盛大に呆れ返るべきなんだろうが、残念ながらここで僅かに視線を逸らすのがわたしだった。

少しして事態が一応の収束を見せると、エンジェルが剣を納めて、メフィストに懲戒尋問の呼び出しがかかった旨を知らせながら何とはなしにわたしに手を伸ばすので、わたしは無意識にその手に応じる。元々、付き合いが長いせいで彼に対しての警戒心は持っていない。彼に手を引かれるがまま歩み出ると、彼は酷く大袈裟にわたしをエスコートしながら、懲戒尋問が終わって仕事が片付いたら、と言う。

「きみをオレの家に招待したい」
「これはまた随分と熱心ですね、エンジェル」
「オレがを口説き落とすのに熱心だと何か不都合があるのか?」

エンジェルはわたしの代わりに口を挟んだメフィストに腹を立てながらメフィストらのいる辺りまで歩み戻ると、そっとわたしを離して、代わりに懲戒尋問に連れていくサタンの息子を逃さぬように彼の首根っこを引っ付かんだ。彼は一度、空いたわたしの手をすぐさま慣れた様子で掬って緩やかに引くメフィストをきつく睨み据えたが、すぐに部下に情報の確認を取るために背を向ける。何だかんだで仕事はしっかりとこなすのだな、とわたしが感心していると、メフィストがいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、必死ですねえ、と愉快そうに呟いた。これについて自分自身で言うのは極力避けたかったが、しかし敢えて言うと、わたしの置かれているこの状態はつまりエンジェルとメフィストがわたしを取り合っているということに他ならない。それなのに、何だ彼のこの愉快そうな様子は。

「余裕ねメフィスト」
「まあ私は彼の百倍生きてますから」

その辺の若造とは違いますよ、と尤もなことを言いながらペリドットの瞳を黒髪の合間に覗かせて、メフィストは哂う。まあ確かに、数百年生きている悪魔からしてみたら、たかだか数十年程度生きただけの人間なんて何の障害にもなりはしないだろう。それに何より今回の場合は、わたし自身が、若々しい人間の男より、いつ生まれていつ死ぬんだか分からない悪魔を恋人に選んでしまっている。きっとメフィストの余裕の大半はここに由来してるんだろう。
僅かに聖水の匂いを含んだ夜の風が吹き抜けて、わたしはそっと視線を上げて隣に立つメフィストを見る。それは丁度、彼がエンジェルの怒号に従って、緩々と歩き出そうとするのと同時だった。するり、と手が離される。わたしを置いて先を行くメフィストの背を見たら途端に言い様もない不安に駆られて、思わずわたしはメフィスト、と声を上げた。オフホワイトのコートの裾が僅かに風に靡く。メフィストの翠の瞳がわたしを捉える。おやおや、とわざとらしく困ったように呟いて、彼は酷く優雅に小首を傾げた。聴き慣れた声が、遠くで燃える炎の音に重なって不思議な音を成している。

、これが終わったら一緒にお茶でも如何です?」

突拍子もない問いに一瞬わたしが唖然とすると、その空白を待っていたかのように、エンジェルの怒鳴り声が聞こえた。ちらりとそちらに目を遣って、メフィストはもう一度わたしに視線を戻す。黒髪の合間に潜む自信に満ちたその美しい双眸は、彼が既に答えを得ていることをはっきりと示していたが、それでもなお答えの提示を求める彼のために、わたしは一つ小さく笑って頷いた。メフィストが、満足気に笑う。

「乗ってあげる」
「そうこなくては」





ミッドナイト
ジュリエット


061811