友人らと歓談する見慣れた少年を遠くに眺めながら、わたしは緩やかに募る切なさを圧し殺すように瞬きをした。春の日差しが柔らかに降り注ぐ中庭は、美しい萌黄の芝生に包まれ、噴水が生む水晶のような水を受けて、まるで小さな楽園のようだ。少年はその中で、目一杯日差しを浴びてからからと純真に笑っている。彼の素性と過去を知るわたしは柱の傍で、ああ、良かったな、と彼の幸せを喜びながら、しかしそれでも柱の陰から出ることが出来ない。

さん?」

不意に横から声を掛けられて振り向くと、そこには中庭の少年と似た少年が佇んでいた。教員用の黒い制服をかっちりと着込んだ彼は不思議そうにわたしを見詰めて傍まで来ると、どっと笑いが起きた中庭へ反射的に目を遣って、少し事情を察したように、ああ、と言った。眼鏡の奥のサファイアの瞳が光を受けて、えもいわれぬほど美しい。生まれた時からずっと一緒に育ってきた双子の兄を守るため無数の努力を重ねてきた彼は、わたしが喜びと切なさを抱えた光景を見て、何を思うのであろうか。

「行かないんですか?」
「そっちこそ」
「僕は授業の準備がありますので」
「わたしだって講義があるわ」
「でも僕の次のコマでしょ?」
「雪男、あんた電車に乗り込む直前でわざとドア閉める駅員と同じくらい腹立つわね」
「そんな駅員いませんよ」

絶妙な切り返しで次々と逃げ場を奪っていく少年に目を眇めながら半笑いで返すと、彼は一つ愉しそうに笑んだ後ふと視線を中庭に戻して、兄さんが、とやや真剣な面持ちで呟いた。その声と彼の真剣な横顔に釣られて、わたしは中庭の少年に視線を戻す。

「最近のやつ変なんだ、ってぼやいてましたよ」
「変って何よ...」
「僕も、兄さんの意見に賛成です」
「ちょっと」
「仕事がない時はずっと兄さんの側にいたような貴女が、今は寄り付こうともしないなんておかしいとしか言いようがない」

はっとして隣に立つ少年を見遣れば、彼は僅かに厳しさの潜む瞳でこちらを見下ろしていた。緩やかな風が吹いて、彼の黒髪が揺れる。遠い談笑に混じって微かに芝生の揺れる音がする。

「どうしたんです?」
「...ずっと、わたしの役目は燐を狙う色んな存在から燐を守ることと、燐が寂しくないように側にいてあげることだと思ってきたわ」

それははじめ、年上としての責任感だったかもしれないし、もしかしたら好意の現れだったかもしれない。今となってはもう、よく思い出せない。ただ一つはっきりしているのは、出会った頃から今までの間に、その程度の時間は間違いなく流れたということだ。不変の物がないこの世界では、わたしも、雪男も、燐も、みんな変わっていく。

「でも、燐は昔みたいに独りぼっちじゃない。もうわたしが側にいる必要はないでしょ?」
「...本当にそう思ってるんですか」
「寂しいけどね」
さん」

カツ、と靴音を立てて少年がわたしに向き合う。影の上に影が重なる。一層険しさを増した少年の眼差しが射るようにわたしに注がれる。きらきらと輝く美しいサファイアの瞳が、いまはわたしを静かに責めていた。

「この状況で、兄さんが何とも思ってない訳ないだろ」
「今だけよ」
「じゃあ、寂しいっていう貴女の気持ちも今だけのものなのか」
「わたしの気持ちと燐の気持ちは関係ない」

自分が思っているように相手も思っているだなんて信じたことは一度もない。わたしはつい熱くなる胸を抑え冷静を装って、目の前の少年を見た。彼はもう刺すような瞳でこちらを見るようなことはしなかったが、代わりに酷く失望した様子で一つ溜息を吐いて口論を片付ける。

「何にせよ、移動しましょう。兄さんたちが見てる」

今は会いたくないんでしょう、と出来るだけ自然な形でわたしと中庭の間に立って少年は言う。わたしはそれを有り難く思いながら、彼と並んでその場を後にした。隣を歩いている彼が鍵を取り出して、扉を開ける。すっと一歩身を引いてわたしに扉を潜るよう促しながら、彼はそのサファイアの双眸でわたしを見詰めて呟いた。

「幼い頃からずっと側にいた人を、もう一度兄さんに失わせる気ですか」
「死ぬ訳じゃないわ!」
「どちらにせよ日常からは存在が失われる」

はっとして彼を見遣る。核心を突いた一言にそれ以上言葉を紡げずにいると、彼は静かな声音でわたしを諭すように「もう行きましょう」と言って、ゆっくりとわたしと彼自身を扉の向こうに渡らせてその扉を閉めた。



わたしはあの子になりたいよ


061911