その晩のガラは華美なディナーと授賞式を経て恙無く閉幕となるはずだった。スタンリーは授賞式後の最後の社交時間の間、ノミニーとして壇上でこの会場の視線を浴びた自身の幼馴染との様子に注意を向けるに最適な場所で、それぞれの周囲に集まる人間の様子を観察していた。祝いを告げるために近づく知人、純粋な好奇心で近づく者、邪な感情で接点を持とうとする者、互いの利益のために交渉しようとする者。それらを会場に溶け込んだまま自然に把握しながら、スタンリーは自身のもとにやってくる人間との会話に応対する。

「スナイダー隊長は部隊員のリクルートをしてると伺いましたが、順調ですか」
「そういえばそれ俺も聞いたわ」

会話を保留にするように、手にしたフルートグラスを一度傾けて、炭酸を喉に流し込む。少し前に軍人に囲まれていた時とは異なり、視線の先でどの相手に対しても問題なく対処している様子のに、スタンリーは改めて、武装、という言葉を思い出した。自分にとって、その言葉あるいは行動はあまり意味を成さない。それはこの夜が始まる前も、今も変わらなかった。しかし同時に、彼女がどのようにこの世界で自分を見せて振る舞っているのかを、今夜初めて見た、とも思った。

「ま 今んとこ順調だな さっき民間企業のメカニックで面白い奴がいた」
「昔から抜かりないよなお前」
「勝ち以外興味ないんでね」
「言うことが違うね最年少で隊長になる奴は 俺らこれから着替えて飲みにいくけどどうする」
「行かね」
「…ああ、そういう」
「…」

大した意識も割かずに返していた会話へ混じる含みのある言葉に、スタンリーはその双眸と意識を一度だけすべて同僚の男に集中させる。意識を向ける先を追っていた同僚は、不意に注がれたスタンリーの刺すような視線に苦笑いをしながら、じゃあな、と言って他の軍人と連れ立って去っていった。彼らが人混みに消えるのを待たず、突如生まれた違和感を検知してスタンリーは静かに視線を巡らせる。ゼノには問題がない。のほうだ。自身の観察の導線が意図的に塞がれている。

「めんどくせえな」

視界の先にあるのは軍の最高礼装の背中だ。自分がを視界に入れ続けていることを知った上で、それを"脅威"と判断して妨害する人間の意図を計りながら、スタンリーはひとつ瞬きをした。シャンパントレイを持ったスタッフの元に向かい、導線を回復しての身体的な情報で彼女が対応できている様子を確認する。それからスパークリングウォーターを手に取って、そのまま口元に運んだ。自身の胸元で揺れるミニチュアメダルの音を聴きながら、他と異なる強さで脳内に鳴るアラートを正確に把握するために対象の動きを全て拾う。す、と温度を持たないトパーズの双眸が細められる。それはまるで戦場でアンノウンを見極める際の精度と同じだった。授賞式の後のタイミングでやってきたなら、の評価と価値を知った上で動いた可能性が高いが、それだけでは自身への妨害と牽制をする理由は薄い。行動コストも高い。相手が軍人なら、尚更違和感がある。しかし、自分への牽制にも当たるこの妨害は偶然ではない。狙撃手として、遮蔽物の扱いについては熟知している。この遮断は間違いなく意図的だ。びたりと対象から視線を外さないまま、スタンリーは不意に眉根を寄せる。自分が”排除すべき脅威”としてではなく、別な物として扱われている可能性がある。

「…」

対象と接するには出口を探す素振りも、自分を探す素振りもない。むしろ、提供される会話に強い興味を持って応じている。相手が軍人であることを考えれば、糧食の話題だろうことは想像に容易い。何より、に接するその軍人の、彼女との距離は一般的なそれより近い。つまり、対象はに異性として興味を持っている。そしておそらくずっと彼女を視界に入れていた自分のことを、”同じ関心を向けている軍人”として分類している。同じ獲物を狙う並列な競合として。それなら、対象のへの態度も、自身の観察への妨害も、全て辻褄が合う。コストとしてもまだ払う価値があるだろう。グラスを傾けて、スタンリーは一度緩く瞬きをする。

「おお、スタンリーじゃん お先」
「ああ」

見知った顔にちらりとだけ視線と声を投げて見送る。ボールルームのシャンデリアに照らされて、虚飾まみれの会話が至る所で踊っている。手にしたフルートグラスの中で、豪奢な光を弾く泡が小さな音を立てては割れる。の傍に立つ軍人をじっと見据えながら、それでも外から見たら確かに誤りではない、とスタンリーは思った。自身の幼馴染をはじめ、と自分の双方を知る人間たちからすれば、自分が何者で、相手との関係がどのようなものであるかが情報として見えている。一方でその情報がなければ、自分はに興味を持つ軍人のうちの一人として分類されうる。外側の論理で見れば、それも正しい。ただ、外からの自分に対する計算と読みの精度が著しく悪いだけだ。まるでお前にはまだ何もない、と言われていることに、力量の差を知らない敵を相手にするような煩わしさがある。心底不愉快で仕方ない。

「新しいお飲み物はいかがですか」

気を遣って声をかけるスタッフに一瞥だけで返事をして、スタンリーは一呼吸の間だけゼノを見遣ってするりとその場を後にした。ボールルームからホワイエに出ても、相変わらず高揚した空気が着飾った人々の間に満ちている。壁際でおもむろに立ち止まって、隅々まで丁寧に照らされた社交の場を眺める。この場に馴染むよう身に纏った最高礼装が、息が詰まりそうなほど華美な空間を余計に窮屈にさせた。

「さっきの例みたいに現場にいると、食事が後回しになることが多いので。この分野でこんなに丁寧に考えてくれている方がいるのは有難いです」
「…そう言っていただけるとこちらも嬉しいで、すね、あれ… スタンリー」

見計ったタイミング通りにボールルームの開け放たれた扉から現れた女が呼ぶ名前に、スタンリーは視線だけで反応する。絢爛たるシャンデリアの明かりが照らすスタンリーの双眸を、は僅かの驚きと共に眺めた。スタンリーは片手をポケットに入れたまま壁際に佇んでいた姿勢をほんの少しに向けるだけで、そこから少しも動かない。ただ、微かに細められた瞳だけが、呼吸ほどの短い間、獲物を見詰めるようにの隣の男へ向けられる。そうしてそのトパーズの双眸はそれから一度もその男を見なかった。



まるで外連な周囲の全てを否定するように、ただひとつ、スタンリーが呼ぶ自分の名前だけが温度を持って誰も知らない心のうちに触れてくる。帰路に着くためにエレベータ付近に流れる人々の騒めきが、食器やグラスの微かにぶつかり合う音に混じって波のように形を変え続けている。シャンデリアの明かりを受けて、スタンリーの長い睫毛がガラスのように見事に光を弾く。の隣にいた軍人が、そっとに向き直って会話が大層有意義だったと言って去っていくまでの数秒間、は目の前のバターブロンドの髪の男から目が離せずにいた。






「どっか寄るとこは」
「んー ない」

バレースタッフから車を受け取って車内に乗り込むと、普段乗る自身の愛車とは異なる重低音のエンジンと心地よい振動に包まれる。シートベルトを着ける間だけ留まって、その堂々とした四輪駆動車はすぐにホテルの車寄せを離れ伸びやかに加速する。王者の品格に相応しい美しく強靭なその車体を意のままに従える男の操舵は、相も変わらず丁寧で洗練されていた。そっとステアリングホイールを握る男の大きな手から視線を外し、はこの車特有の高い視界で助手席の窓ガラス越しに夜のダウンタウンを眺める。

「こっち窓開けんぞ」
「どうぞ」

4月の温い夜風が頬を撫でる。その風に釣られて、慣れた手つきで煙草を咥えて火を点ける運転席の男を眺めると、一度だけその琥珀色の双眸と視線が交わった。深く息を吸う微かな音と、仄かに香る慣れた煙草の匂いが車内を満たす。ふと、先ほどのスタンリーの瞳がの脳裏をよぎる。彼がゼノと自分を常に見ていることは想定していた。それは職業から彼に染み付いた習性とも言えるし、今夜はそういう特殊な場であったとも言える。しかし、彼自身が行動を起こすことはまるで想定外だった。少し前に軍人らに食事に誘われた時のことを思い出す。あの時も、スタンリーは同じようにわたしの前に立っていた。ただ、今夜はあの時と違って自らで場をコントロールできていた。何らの問題もなかったはずだ。は開けられた運転席側の窓から白波のように流れていく煙草の煙を眺めて、瞬きとともにひとつ深く息を吐いた。何かがあったとして、仮説を立てるための推論の材料が足りない。車が信号で緩やかに停まる。ラジオから流れてくる聴き馴染みのある曲の、空間の下層に規則を敷くような乾いたバスドラムの音と、ほんのわずかに遅らせてリズムに乗る掠れた質感と息遣いを残した女性ボーカルの声が、車内を一定の温度に保っている。

「スタンリー あの人知り合いだった?」
「いや 知んねえ」

その短い回答からは何らの追加情報も得られなかった。淡く光る計器類の光を眺めながらはスタンリーの回答に相槌だけで返して、力強い鼓動のようなエンジンの心地よさと自身を守るような助手席の安心感にそっと瞼を伏せる。スタンリーは咥えていた煙草をカップホルダーに置いた円筒型の携帯灰皿に押し込んで、新しい煙草に火を灯した。信号が切り替わってアクセルを踏み込む前に、計器の微かな光と信号の明かりだけが照らす夜の中で、ちらりと助手席を一瞥する。今まで何度言っても寝なかった、助手席のマナーとやらをしっかり教え込まれた女が微かな寝息を立てている様子に、小さく笑う。ま、色々あったかんね、と胸中で独りごちて、T字路を滑らかに左折する。カチカチと鳴るウィンカーの作動音が消えて、ラジオの音楽が途切れた束の間に、スタンリーは今日出会った見知らぬ軍人のことを思い出した。自身について、排除すべき障害として認識されることには慣れているが、共通のターゲットに対する競合と見られることは稀だった。戦場では相手の状況、手札、力量、思考や癖を視覚情報から拾って計算して解を組み立てる必要がある。この精度が命の強度だ。そんな場所では、滅多に精度の悪い奴には出会わない。しかし今夜は、そもそも前提が違っていた。戦場でもなければ、命のやり取りでもない。ただ同じ関心を持つ男として並列に並べられただけだ。スタンリーは窓の外の闇に紫煙を吐き出して、瞬きをする。並列な訳ねえだろ、と言いたくなるほどの粗悪な計算は、しかし相手のせいというよりも、相手が自分の位置を外から正しく把握できていないせいだった。それによって、取り合わなくていい相手に無駄なコストを割くことになった。

「ん…寝てたごめん」
「いい 寝てな」

ごめんと謝りながらも眠気を手放す気のなさそうな声に、スタンリーは囁くように短く返す。最後の一服のつもりで深く息を吸って、煙草の煙を肺に満たす。そうして定速で流れていく落ち着いた住宅街の明かりに向かってそれを吐き出すと、携帯灰皿に煙草を押し込んで、蓋をした。少し前、が軍人らに食事に誘われていた時は階級という構造が機能した。しかし今夜のパターンではそれが機能しない。たまたま相手が引いただけで、こちらのコントロールが弱く再現性の低い結果だ。今夜は自分が同席していたが、最悪のパターンとして同じような状況で彼女一人の手に余る時、一人で切り抜けるだけのものを、果たしてこの女は持っているだろうか。或いは持っていたとして、そのコストは適切だろうか。窓を閉めて、スタンリーは軽く添えた手でステアリングホイールに緩やかな角度を与える。対向車線の車のヘッドライトが深海を泳ぐ潜水艦のように通り過ぎる。自分が外側の論理の中で正しく変数として計算されないのは、外側に見えるものがないからだ。それなら、自分が”内側”にいることを、外側にも見える形にすればいい。助手席で眠っている女にとっても、それが対応コストを最も下げる。フロントガラスの向こうにの住居であるタウンハウスを認めてそっと減速する。真夜中のドライブウェイに驚くほど静かに滑り込んで停車した美しい四輪駆動車のヘッドライトが音もなく消える。

「着いたぜ 起きなよ」
「んん…」

「…なに…」
「俺のもんになりな」

は寝起きで曖昧な思考のままひとつ瞬きをする。ラジオからはミドルテンポのサウンドに乗った、ファルセットが柔らかな男性の歌声が流れている。囁くように繊細に歌われる歌詞がやけに耳に残って、はしばらくの間、ステアリングホイールの上に肘をついて運転席からこちらを見詰めるトパーズの双眸を瞬きもせずに眺めた。一体、何がどうなってその結論に至ったのか、皆目見当もつかない。そもそも、寝起きの人間に最初に言うセリフの強度として合っているのかも分からない。思考することを諦めて、は一度だけ、スタンリーから視線を外す。微かに、もう嗅ぎ慣れてしまった煙草の匂いがした。今夜初めて触れたその匂いにふと、できるね、と言ったあの冬の夜のスタンリーを思い出す。

「いいよ」

それはその夜でいちばん柔らかい音だった。スタンリーはの回答に口端を上げて笑って、じゃ、それで、と言いながら愛車のエンジンを切る。スタンリーが運転席から降りるのを見て、は一つゆっくりと瞬きをした。今、なぜ彼がこの行動に出たのかは仮説が立てられない。それでも、彼のこの行動の理由が何であれ、自らの中にそれを否定するものは一つもない。むしろ、そうして欲しい、とすら、思う自分がいる。一人取り残された、外界の音の殆どを遮断した車内は、海の底のように静まっている。ああ、とは小さく息をついた。もう、とっくに知っていたんだ。わたしは、あの冬の夜より前からずっと。

「降りな」

助手席のドアを開けて、補助のために手を差し出すスタンリーのトパーズの双眸が、在り来たりな街灯の下でいつか見た金星のように美しい。は助手席の中で、その瞳を丁寧に眺めた。閑静な住宅街に、街路樹の葉が奏でるせせらぎが流れていく。通りの向こうで、どこかの家の窓の明かりが一つ消える。目の前の男に手を伸ばして、はいつもよりずっと近いその頬に触れる。長く美しい金色の睫毛が瞬きで微かに揺れて、しかしその視線は少しも自分から離れない。それを幾度かの心拍のあいだ受け取ると、はそっと身を寄せてスタンリーの呼吸を奪った。風に揺れる梢の音が、深夜の静寂を柔らかく撫でる。スタンリーの手がするりと腰に伸びて、強く引き寄せられる。噛み付くように求められて、息ができない。一本向こうの通りを車が走っていく音がする。遠くでひとつふたつと梟が鳴いて飛び立つ頃、ようやくもう一度出会ったトパーズのように美しい瞳の奥は、かつて恋焦がれて眺め続けた、煌々と燃えるベテルギウスのようだった。

「…で」
「…」
「どうすんよ」
「……帰んないで」

武装はどこいったよ、と言いたくなるような声音にスタンリーは一つ小さく笑って、視線を彷徨わせるの頬を撫でて意識を自分に向けるとその体を助手席から抱き上げる。首に抱きつかせるようにして片腕で抱えながら、四輪駆動車の重厚なドアを後ろ手に閉めて、歩きながら施錠する。

「鍵、玄関の」

寄越しな、と言う少し掠れて温かい音が真夜中の静寂の中に滲んで溶ける。は自身を抱き上げる男にそっと鍵を手渡した。







BINARY
03.22.26