「AIの通信については、地上での再学習とログ回収を想定してるんだが どう思う ゼノ」
「遅延と断絶が前提だな その間の動作は単独で成立するのか」
「いや、まだそこまで評価できてねー」
「切断状態で成立する最小構成を先に切り出したほうがいい つまり通信がある場合だけ性能を上げる」
「ベースラインを固定して、上に機能を載せる構成ってーことか」
「その通りだよ」
夜のカフェテリアは昼の賑やかさが嘘のように伽藍堂としていた。壁一面に貼られた月の写真がよく見えるテーブル席で、百夜はううん、と一度唸ってラップトップを閉じる。まずは生存性か、と言って天を仰いだ百夜を横目にゼノは淹れたばかりのコーヒーを啜った。ふと、もう関係者しかいないはずの時間帯に、隣接するマイクロマーケットと呼ばれる無人コンビニからカフェテリアにやってくる靴音がして、ゼノと百夜は同時に視線を向ける。夜間の控えめな人工灯の下で、バターブロンドの髪が美しく揺れる。
「現場でさっきの糧食は使えねえよ B案一択だな。ああ、…お前も今日はそろそろ帰んな 続きは明日だ」
そう言って無造作に通話を切って、トパーズの瞳が二人の男の視線を拾う。
「やあスタン いや、アームストロング船長と呼んだほうが良いかな?」
「ん?どういうこと?」
「フフ…ようやく月に星条旗を立てたようだね」
「うるせえな 放っとけ」
小さく口端だけで不敵な笑みを描いて、スタンリーは二人が座るテーブルに手にしたサンドイッチとペットボトルを置いて空いた椅子に座った。その横でようやく百夜が何かに思い至って、ああ、と声を上げて、え?と頓狂な音を続ける。その音は人もまばらな空間に思いの外堂々と弾けた。
「あんたもうるせえな」
「マジか お前ら付き合ったってこと?ついに」
「…」
「おお百夜、命知らずだな 君は」
光量を落とされた明かりの下で琥珀色の鋭利な視線を百夜に向けると、スタンリーはそのまま何も言わずに手にしたペットボトルの水を口に含んだ。次いで、サンドイッチの封を切る。
「いや~~ そうかあ…」
「ゼノ このオッサン黙らせらんねえのか」
「君に無理なら無理だな ところでこんなに遅くまで糧食の官能評価かい」
「ああ もう終わったがな」
これ食ったら帰る、と言うスタンリーを眺めて、ゼノはちらりと手元の時計を見遣る。夜の穏やかな静寂が滲むカフェテリアのテーブルに、仄かに珈琲の香りが漂う。
「そうか 随分のめり込んでいるようだな は」
「近えかんね 軍との承認会議」
「無理ゲーに見えてもどんどん挑んでいくあの姿勢には100億%共感できんだが 最近いつもこの時間まで居るんだよな 流石に心配になっ」
スタンリーが一つ目のサンドイッチを食べ終えて二つ目に手を伸ばしたところで、不意にテーブルの上に無造作に置かれた百夜のスマートフォンが振動する。取るより早く全員の視線が液晶に注がれる。百夜は表示された名前によって途端に窒息しそうなほど窮屈になったテーブルの空気の中で何とか酸素を得て、スマートフォンを耳に当てた。
「ど、どした?」
「…。」
「いや、まだ居るぜ そう、カフェテリア ゼノにロボットの設計相談しててよ」
ゼノはちらりとスタンリーと百夜を順に見遣って微かに面白そうに目を細めてマグからコーヒーを啜る。伽藍堂としたカフェテリアには、微かに漏れる通話口の向こうの声すら存在を許されてしまう。スタンリーは黙って食事を続けながら、ひとつ、ふたつと徐に瞬きをする。
「試食は全然いーんだが そのー なんだ 今隣にスタンリーが」
「え?」
かつん、と最後の一歩のヒールの音がやけに響く。は傍らに持った糧食サンプルを僅かに取り落としそうになって、慌てて掴む力を強める。アイスシルバーとプラチナ、バターブロンドの見慣れた様相が揃って自身に視線を投げる中で、は所在なげに終話ボタンを押して、場の状況を読むためにしばしそこに留まった。
「いるんだよなーと……」
「おお、見事なまでに帰る気配がないな スタン、君が見ているなら問題はないだろうと思っていたんだがね」
「…」
「」
「…ハイ」
「突っ立ってねえで早く持ってきなよ」
「…ハイ…」
スタンリーがサンドイッチの最後の一口を咀嚼し終えてペットボトルの水を飲む。その間にテーブルにやってきたは、ちらりと百夜を見ると、もっと早く言ってよ、とその視線だけで訴える。百夜はそれに、無茶だろと視線で返す。
「で」
まるで線香花火の玉が落ちたかのように、割って入るスタンリーの声は短くも夜のカフェテリアに漂う静寂を見事に散らす。席に座ったまま、スタンリーは蛍光灯の弱い明かりを受けるシェリーのような色合いの瞳をに向けて少しも逸らさない。は観念するように一つ瞬きをして、見上げてくるそのシェリーの双眸を受け止める。
「ごめん」
「それ要んねえよ 何すりゃいい」
「これ 一口試せる?」
「ああ」
が手にしたペーストのパウチを渡すと、スタンリーは慣れた手つきでそれを受け取って口に含んだ。テーブルの上に静寂が落ちて満ちる。全員の視線がスタンリーに集う。柔い人工灯に照らされて、瞬きの度にスタンリーの睫毛が光を弾く。
「…相変わらず味はどうでもいいって顔してんだよね…」
「どうでもいいかんな 実際」
「でもゼロにすると死ぬわよ」
「ああ 大抵の奴は食う量が落ちっかんね」
「…さすが」
僅かにの双眸が柔く細められるのを数度の心拍のあいだ眺めたのち、スタンリーは手にしたパウチに視線を落とした。そうしてもう一度、傍らに立つの双眸を捕まえる。極端な関心と集中力が、疲労の居座る場所を奪っている。
「その問題を潰しに来てんじゃん お前のこれは」
「…思惑通りに潰せると いいんだけど」
「ま 頑張んなよ だがな 今日はもう帰んぜ」
「これ片付けたら帰るって」
「へェ」
スタンリーはそう言って食べ終えたサンドイッチの外装を何の頓着もなく掴んで立ち上がると、そのままゴミ箱へ向かう。はちらりとゼノと百夜を見遣る。
「明日 百夜にもこれ試してもらいたい ゼノは来週次の打ち上げの設計について相談させて」
「ああ、構わないよ」
「いつでも力んなるぜ」
「ありがとう じゃあ、ふたりともおやすみ」
そう言ってテーブルを離れ夜のしじまの揺蕩うカフェテリアを後にするとスタンリーを見送って、百夜がテーブルに頬杖をつきながら柔く息をつく。ゼノが口端だけで小さく笑んでマグを口に運ぶ。
「お似合いだよな どう思うよ ゼノ」
「愚問だな 似合う似合わないの次元の話ではないよ」
百夜が意図を掴み損ねてゼノに視線を投げると、その先にあるゼノのオブシディアンの双眸は、夜の蛍光灯の明かりを湛えてまるで夜空のように静かに煌めいていた。
「は生命維持食のプロ、スタンは一瞬で命を奪う射撃のプロ つまり二人は切っても切り離せない、実にエレガントな事象の対なのだよ」
「あー その見方もあるか なんかゼノはじわっと闇だよな そこが面白れーけど」
「或いは相互補完とも言えるがね 彼女はスタンリーという最強の武力を維持するための知性と技術を、スタンリーはそれを受けて極限の現場で機能し続けるという結果を担っている」
謂わば戦略的提携だな、と小さくその言葉に笑みを混ぜて、ゼノはひとつ瞬きをした。俺にはもっと情緒的なものに見えるけどな、と言う百夜の、慈しみが滲む声音を聞きながら、その見方もある、と胸中でだけ呟いてマグから冷めてしまった最後の一口を啜る。
「彼女が生を極めるほど、彼の齎す死の精度を高めてしまうという矛盾も含め おお、なんと残酷で美しい均衡だろうね」
百夜が苦笑を溢すのを横目にゼノは、さて、他に問いがないならこれで、と立ち上がった。二つ分の椅子が鳴る音ののち、一つ二つの別れの言葉が交わされると、カフェテリアには夜の柔らかな静寂が満ちていった。
LINGER
03.28.26