「あれ?」
「ん?お嬢ちゃ…いや、じゃねえか よう」
「ブロディ 珍しいね」
「サバイバルキットの評価でな」
昼のカフェテリアの喧騒の中で、ランチトレイを携えたサングラスの偉丈夫が屈託のない笑みを浮かべる。想定していなかった出会いに驚きを見せていたは、それに思い出したように笑みを返して、それから周囲を見渡した。ブロディは一拍の心音のあいだに短い瞬きを数度繰り返して、ああ、と得心したように口端を上げる。
「スタンリーなら用あるっつってえらい顔の良い科学者とどっかいったぜ」
「ああ、え、スタンリーも来てたんだ」
「探してると思ったが違ったか」
「いや、他に知ってる人来てないのかなと思ってた」
「バハハ!今日は俺とスタンリーだけだな ランチ一人なら一緒にどうだ」
「ではお言葉に甘えて」
そう言ってはブロディと連れ立って、カフェテリアの一角で辛うじて空いている二人掛けのテーブルに向かった。トレイを置いて席につくと、テーブルが防波堤となって喧騒が漣のように意識の底に着地する。ブロディは席に着くや否や、皿の上で音も立てず綺麗にカットした大ぶりのステーキを口に運んでその味に満足そうに舌鼓を打っている。はそれを眺めながら、グレープフルーツジュースの入ったカップにストローを刺して口に含むと、そういえば、と一つ瞬きをした。
「ブロディっていつからスタンリーの隊にいるの?」
「4月からだ」
「え、今年の?」
「ガラでスタンリーに声かけられてよ」
「…へえ」
ステーキを一切れ分カットして、ブロディは一度その手を止める。サングラスの向こうの瞳が興味深そうにを見遣る。数秒の間、蛍光灯の明かりがサングラスの縁できらりきらりと跳ねるのを眺めた後、はドリンクを置いて自身のトレイの上からフォークを手に取った。
「そっちは?」
「ん?」
「いつからそういう仲なんだ?」
ザクリとフォークの先のロメインレタスが瑞々しい音を立てる。テーブルの周囲の喧騒がその存在感を増して、沈黙を際立たせる。サラダを口元に運んで場を繋ぎながら、はどう答えるべきかひたすらに悩み続けた。事実を隠す必要もないが、しかし、当事者の部下に素直に言うべきなのか、と沈黙で多くを片付けるバターブロンドの髪が美しい恋人を脳裏で思い出す。
「………」
「バハハ 別にカマかけてるわけじゃねえ ガラとこの間のテストん時のお前ら見てたから分かっただけだ」
言いたくなきゃそれで構わねえよ、とブロディは闊達な笑いを満面に浮かべて切り分けていたステーキの最後を口に放り込んだ。目の前ですでにステーキのほとんどを平らげ、副菜にフォークを伸ばす様子を眺めながら、は二口目のサラダを口に運ぶ。なるほどね、と視線だけで相槌を返して、ダイスカットの鶏肉をフォークに刺す。
「なんでそう思ったの」
「スタンリーの奴 他所の男追い払ってただろ 自分の縄張り…”プライド・ランド”からよ」
「え?」
「…気付いてねえのか?ガラの」
ガラの夜そうだったじゃねえか、と言いかけて、ブロディははたと口を噤んだ。目の前でサラダの鶏肉をフォークに刺したままじっと自身を見つめる目の前の女の様子を見る限り、今この瞬間にそれを知ったことはほぼ間違いない。だとすれば、要らない情報を渡した可能性もある。ひやりと背筋が僅かに冷えて、ブロディはカトラリーを皿の上に休ませるとサングラスのブリッジを指先で押し上げた。
「…」
「あー…いや、俺の気の所為かもしんねえが」
「…え、待って、あれそういう」
「…」
「いや、てかプライド・ランドって何…」
目の前で自身のランチを放棄して何かを思案するや否や、両手で顔を覆うに、こりゃ聞いてねえな、と小さく苦笑して、ブロディは一度置いたカトラリーを手に握り直すとプレートに残っている副菜を掬う。“招かれざる客”が縄張りに踏み込めばスタンリーのアラートが即座に鳴ることを知らないなら、スタンリーは彼女に結果以外何も教えるつもりがないということだ。その上で、自分が口を滑らせて情報を与えたと知れた場合、どんな代償を支払うことになるか。ブロディは口元をきつく引き結んだまま酷く歪に口角を上げる。
「、それについては一旦忘れてよ、とりあえず飯を……」
視界を塞ぐように両手を額に添えていたは、ブロディの声に混じって不意にカフェテリアの入口付近に生まれた聞き馴染みのある大波のような喧騒に、一度強めに目蓋を閉じて溜息をついた。過去数年の経験によって、見なくても何が起きているか、手に取るように分かる。あの喧騒が生まれたなら、互いに一刻も早く平常心を取り戻さなければならない。
「ブロディ、まずい」
「ん?」
「歩く観光資源きた」
「…オイオイ マジでどっかで会話聞いてんのか…?」
ブロディは瞬時に周囲に視線を巡らせその視界の中に自身の上長と先ほど見かけた科学者を認めると、ひとつ乾いた笑いを零した。騒めきが少しばかり静まって、カフェテリアのトレイからレジまでのレーン沿いに沿って徐々に空気に溶けていく。
「ワンチャン バレない説」
「万が一もねえだろが」
「… この間の糧食テストの話しよう 綺麗すぎるってやつ」
「え?ああ、あれは…嫌がられるぜ」
「どうして?」
「そりゃ視線を切って確認せざるを得なくなるからだな」
「ああ……」
はひとつ瞬きをすると、ついにずっと手にしていたダイスカットの鶏肉を口に運んだ。咀嚼しながら、視線を右下に落として二つ、三つと瞬きを重ねる。フォークを掴んだまま、何かを考えるように指先を口元に添える様子に、ブロディはトレイの上に乗ったドリンクカップを手にしながら、これは仕事が一番のライバルになるタイプだな、と、小さく笑う。そして同時に、先日のテストのあいだ自身の縄張りの中で、自由を謳歌するように仕事に没頭していた目の前の女を少しも視界から外さなかったトパーズの瞳の若い男を思い浮かべる。
「ラボじゃ気付けねえタイプの課題だろな」
「高次認知を通さず、反射だけで要件を満たす定石は何パターンかあるのよね…」
「面白え どうしようってんだ」
「パウチのシール端をあえて硬く鋭くするとか マイクロテクスチャとか パウチを非対称のカットにするとか」
「おお、どれもコストの問題があるな」
「そうな………」
背後から突如会話に飛び込んでくる通りすがりの声に、は言いかけた言葉を捨てて、振り返りもせず、代わりに胡乱な視線を向かいのブロディに投げた。そうして視界に入ってくる愉快げなオブシディアンの双眸にそれを着地させる。いつもならそのまま合流する流れだが、今日のテーブルは二人掛けだ。追加はない。ゼノがそのまま通り過ぎて、少し離れたテーブルにトレイを置く。その様子を眺めていると、向かいに座るブロディが僅かに緊張を見せて、よう、とだけ言った。微かに煙草の匂いが鼻先を掠める。触れてすらいないのに、よく知った体温が傍にある、と思う不思議な感覚に、はその視線を通りすがるバターブロンドの男に与えた。かち合うトパーズの双眸が、窓から拡散されて差し込む薄い陽射しを拾って煌めいている。向けられた視線を一度受けたのち、スタンリーはちらりとテーブルの上のプレートの状況とブロディに視線を投げて、再びを見遣る。
「飯」
「分かってるってば」
「へえ」
長い金の睫毛を揺らしてひとつ瞬きをすると、スタンリーは僅かに皮肉交じりの笑みを浮かべてゼノの座るテーブルへと向かう。は手にしたフォークで久々にサラダボウルの中のロメインレタスを刺す。ドレッシングに浸されて僅かに柔く鳴る芯の音は、テーブルの防波堤すら意味もなさないほど小さく、カフェテリアの喧騒にすぐに飲まれて消えていった。
PARADOXICAL
04.09.26