(ふわり ゆらり 香るその日が残りますように 永遠に)






日曜の午前。陽差しが緩やかに靡くように差し込んでくるような錯覚に襲われながらは目を覚ます。

「...おーい起きてっかー」
「.........。眠い...」
「起きろっつの。ほれ、」

早く。そういって眠りを妨げる声は紛れも無くの世界の中で一番愛しい男のもので、は仕方なく双眸を開けてベットから起き上がった。頭がぐらつく。毎朝の事だ。例えて言うなら、下を向いて十回転ぐらいした時の気持ち悪さと共に来るあの鉛のような頭の重さ。そうして目を開けることが筋トレよりも難しいと感じてしまう瞼の引き合う力の強さ。それらは毎日、目が覚めれば必ずを待ち構えていた。

「......おはよ...」
「...おいおい...大丈夫かよ...」
「...ダメもう無理眠い...」
「お前が部活行く前にどうしてもDVD見たいって言ったんだぞ、お 前 が。」
「.........ひさし......寿?......ああ!」

寝惚けたままが焦ったように声を上げて、寿など居ないかのように部屋を飛び出す。きっと昨日、部活前にどうしてもDVDが見たいから泊めてくれと言ったことも憶えていないに違いない。そう思いながら、恐らく顔を洗いに洗面所に向かったのだろうと推測した寿は、布団が捲れたままのベットの上に腰掛けた。ベットに突いた掌が暖かい。不意に、廊下から母親との焦ったような声が聞こえた。母親の笑い声に混じっての謝る声が耳に滑り込んでくる。陽差しに撫でられながら、困ったヤツだなと、穏やかに寿は笑った。



「...お。お帰り」

ただいまとが返す。疲れたように部屋に戻ってきたは、顔を洗った所為か母親と会った所為か、完全に目が覚めたようだった。

「......寝起きの悪い自分が憎いわ」
「ふうん?まあいいじゃねえか、可愛いもんだ」

こうして後悔しながらも、この瞬間まで一度も更生した事が無いに寿が諦めろと言って目を閉じる。その口元は緩やかに弧を描いた状態で、の双眸に映り込んだ。初めの頃はこんな時間が来るなんて思ってもみなかった。一緒に居るだけで恥かしくて嬉しくて切なくて焦ってばかりで、気後れもして、だから幸せだったけどそれは何処か窮屈なものだったのに、それがまさか、普段よりも心臓の鼓動が緩やかになっているのではと思うほど自然体で居られる時間が来るなんて、本当に思ってもみなかった。

「...」
「.........今更になって見惚れやがって」
「...はあ?あんたねえ...自惚れてんじゃないわよ」
「ああ?何だと?」
「おっと、そうだ、ご飯よ寿。おばさんが呼んでた」
「...へいへい」

行くぞ、と背中を押されては再び廊下に出た。寿の後ろを少し緊張して歩く。もう結構な付き合いだと言うのにも拘らず、未だにこの空気には慣れられない。まるで新妻のようだとひっそりと思う。食卓へ着くと、寿の母親がに今日は父は居ないのよ、と笑った。朝早くから仕事に出かけたのだという。目玉焼きの白身に光が反射して眩しい。いただきます、と挨拶をしてすぐに、と目が合った寿の母親が小さく吹き出した。

「何だよお袋。気持ち悪ィな」
「いやあ、ねえ、さっきの思い出しちゃって」
「さっき?」

寿が眉を寄せて訝しげに聞き返す。訊くその間も、朝食は休み無く口元へ運ばれている。

ちゃんたら寝惚けてたらしくてね、あたしのことお母さんて呼んですぐに物凄い謝りだして」
「...、......スイマセン...。」

照れて小さく謝るに、寿の母親が満面の笑みを浮かべる。横で寿が吹き出して自分を見るのが、には手に取るように分かった。

「さっきも言ったけど、いいのよ、別に呼びやすいように呼んでくれても。もしかしたら何年か後にはホントにお母さんかもしれないし」
「いんや、寝坊魔は三井家の嫁には なれねぇなあ?」

ニヤニヤと笑いながら横目で見てくる寿をテーブルの下で小突く。するりと、寿の手がの手を掴んで捉えた。驚いてが寿を見ても、寿は何事も無かったかのように不敵に笑ってを見下ろすだけ。

「どうする、俺のために早起き出来っか?」
「...!」
「出来なけりゃ...この朝飯は食えないぞ。三井家の朝食を食う条件は厳しいんだ」

さあ ハイと言え。勝ち誇った笑みを浮かべた寿が レタスを箸で器用に挟んで口元に運ぶ。向かい側で寿の母も、同じように面白そうに笑っていた。さすがに親子なだけあって、同じ表情だと性別が違っても似ているように見える。 は背筋を伸ばして息を吸った。悔しいけれど仕方が無い。惚れた弱みというやつだ。良い嫁になる素質ぐらいあるということを教えてやろうじゃないか。



「あなたの為なら早起きだって厭わないわよ、」


驚いてこちらを向くだろうと予想していたはしかし、寿の満足気な笑みを見て、欲しかった優越感より良いものを得る。捕まった手はいとも簡単に離されて、代わりに一度 は寿に背中を軽く叩かれた。

「合格」

食え、と促されて 箸を握る。冷めてしまった目玉焼きを口に運ぶと、再び目が合った寿の母は嬉しそうに笑った。釣られてはにかむ。

「これなら良い奥さんになれそうね」
「任せて下さい お母さん」
「どーだかなー」
「うっさい」

見てなさいよ。が自信満々で告げると、寿は呆れたように二度返事を繰り返した。話を変えたは 寿がほんの少し双眸を細めてを見ていた事に気付かない。その愛情は、瑞々しいレタスやトマト、焼きたてのパンと艶やかな目玉焼きに降り落ちてゆく。











050518/071606修正
(誰かと食べるご飯が美味しいのはそのせい)