わたしの太腿の付け根辺りには、動物に噛み付かれたような痕がある。

「バザ、ラガ」
「どうした」

体を繋がれたまま、わたしだけがベッドの上に腹を見せるように横たわり、わたしはわたしからぴたりと視線を逸らさない赤い瞳に射抜かれる。もうどれくらい、体を合わせているか分からない。短いストロークで奥を悪戯に叩かれて、さらに奥を求めるように彼の両腕で腰を強く引かれると、わたしは途端に弾けるように生まれる声を噛み殺しながら、シーツにしがみついて身を震わせた。しかし、わたしが達しても彼はそれをわたしの中から抜こうとしない。彼と体を交わらせるときは、いつもこうだった。元々「普通」など有り得ない組み合わせだ。彼は2mを越える規格外かつ"特別製"の肉体で、わたしは至極平凡なただの人間。


「あ、」

バザラガが、耳元でわたしの名前を呼ぶ。びくりと体が震えて、わたしは思わず快感から逃れるように、ぎゅう、と彼の首にしがみついた。もう幾度も与えられた後にも関わらず、さらに求めるように忙しなく彼のそれを締め付ける自身の体が、ひどくはっきりと分かってとても恥ずかしい。はやく理性を手放したい、と願うようにバザラガの首筋に唇を落とすと、随分と貪欲になったな、と僅かな笑いを含んで低い声が言った。

「あなたが、そうしたんでしょ」
「そうだったか」
「そうよ」
「...そうだな」

するり、と肌を撫でるように、バザラガの指先がわたしの太腿に触れる。彼に与えられる何もかもを、良いものとして受け取ってしまう体が、僅かに跳ねる。しかし傷痕で止まる彼の手に気付いて、無意識に堪えていた息を吐くと、わたしは自分の手を、バザラガのそれに重ねた。わたしの太腿の付け根辺りには、動物に噛み付かれたような痕がある。それは、別の傷を上塗りするようにつけた傷だった。かつて、この世界に来て間もなくの頃、この体は男の暴力に出会ったことがある。幸いにも助けの手が早く、奪われたものは少なかったが、得たものは多かった。恐怖、後悔、不安、悲しみと怒り。そうして痕になるほどの一つの切り傷。しかしそれ以上に、好きな男すら意図せず恐怖するようになった体が、見知らぬ誰かによって作り上げられてしまったことが、筆舌に尽くし難いほど、嫌で嫌で仕方がなかった。そして当時不在だったとはいえ、わたしの護衛役だったバザラガを、苦しめる要因になるであろう自分が許せなくもあった。だから、無駄だと分かっていてなお、助けの手であったユーステスに口止めをし、表向きには真っ当な理由を被せてバザラガから距離を置いた。それは彼が事実を知って、密かに彼自身を責めることなど想像に容易かったからだ。実際、その後どこからか事実を探り出した彼が、深く自身を責めたことを、わたしはよく知っている。

「もう全然怖くない」
「…、」
「気持ちいいよ、全部...や、まあ、...もう知ってると思うけど」

僅かに傷跡に触れるバザラガの指先に力が籠る。彼はきっと今も、その心の何処かに後悔を飼っている。しかし残念ながら、わたしにはそれを完全に殺すことはできないし、まして彼の心から逃すこともできない。極端に言えばわたしだって、あの時を思い返す度に未だに当時の感情を思い出す。ただ、わたしの心の中のそれらは普段眠っているだけだ。何一つ死んでなどいない。どんな感情だって、一度得てしまったら、殺すことなんてできない。他人にも、飼い主にも。

「それとも、バザラガはわたしに、他の人と傷を癒して欲しかった?」
「何故そんなことを問う」
「悲しそうだから」
「......」
「...そうじゃないから、ちゃんと体が慣れるようにして、噛み付いたんじゃないの、わたしに」
「......ああ、そうだ」

ゆっくりと一度、バザラガの手のひらがわたしの傷跡を撫でる。彼に想いを打ち明けて、互いを特別に扱うようになってから、体を重ね合うまでには大分の時間を要した。それは主にわたしの心に巣食っていた恐怖と、そうして互いの体のせいだった。サイズ違いの体が噛み合うようになるには、それなりの労力と時間が必要だったのだ。それのせいで、わたしが何度、不安と涙に呑まれたか、バザラガはきっと思い出したくもないだろう。ただでさえわたしに与えるであろう痛みのことで、彼の心は軋んでいた。それでも、わたしたちは互いにその先を求めた。それがどんな意味を持つのか、分からないほどお互いもう子供ではない。それに二人とも、覚悟を決めて選んだ道で中途半端なことは、しない性質だ。だから幾度目かで晴れて繋がったあと、次にわたしが彼に望んだのは、傷の上書きという、彼にとっては酷く残酷な願いだった。随分とかかってからだったけれども、最終的にそれに応じた彼は、わたしが彼に思うのと同じように、わたしの不安を完全に殺せないことを分かっていたように思う。

「わたしは他の子ほど豊満な胸もないし」
、やめろ」
「いつ、いなくなるか、分からない、し、他の子との方があなたは幸せだったかも、って、わたしだって未だに思う」
「...」
「...でも、すきなの、...バザラガ」

腹の内側で、僅かに熱を上げるそれを、ひどく愛しいと思う。慣れるまでには随分とかかったが、無理ではないことを、わたしはきっと頭のどこかで分かっていた。バザラガと一緒にだったら、できる気がする。それはそんな、ただの単純な思い込みだったかもしれない。それでも。

「だからわたしと、気持ちよくなってほしいし、バザラガにも同じように思っていてほしい」
「......お前は強いな」
「いつも泣いてるのに?」
「涙は必ずしも弱さに関係するものではない」
「どうかな。わたしはただわたしのものにしたいだけよ、バザラガを」
「...フフ、そうか」

バザラガの手のひらが傷跡を離れて、わたしの頬を撫でる。涙を拭う熱いほどの体温が、じわりとわたしの肌を温めた。ゴウン、ゴウン、と騎空挺のエンジンの音が深い船底から部屋の静寂に滲む。包帯の合間からこちらを覗く赤い瞳が、柔らかく窓からの光を反射してひどく美しく輝く。そろりと近づく唇を迎えて、幾度も呼吸を奪われる中、わたしは自ら腰を沈めて彼の体を押した。髪を梳くようにわたしの頭を撫でていた彼の手が止まる。絡めた舌が名残惜しそうに離れて、赤い瞳が再びわたしを覗き込む。


「こういう時は、嘘でも良いから、押し倒されてよ」
「無理をするな、お前にはまだ俺は扱えんぞ」
「揶揄わないで」
「揶揄ってなどいない」

ぐい、とわたしの腕を引いて、彼は自身のそれを一層奥へと付ける。途端に言いようのない快楽がわたしの肌を撫でて、心臓を鳴らす。無防備だったわたしの唇の合間から、彼が奪うより早く生まれた女の声がひとつ逃れる。宥めるようにわたしを抱きしめて口づけを繰り返しながら、バザラガが僅かに喉を鳴らして低く笑った。汗で自身の頬に張り付いた髪を退けながら、わたしは羞恥と怒りで彼の口づけから顔を背ける。

「すまん。やりすぎたな」
「楽しそうで何より」
「許してくれ」

米神に唇が落ちて、わたしは呼吸を整えながらひとつ溜息をつく。動きたくて仕様が無い、と言わんばかりにバザラガがわたしを抱く腕に力を込める。じくじくと滲むような快楽が下腹部から止め処なく生まれては体温を上げていく。

「…さっきの声、誰かに聞かれてたらどうしよう」
「...ふむ...」
「......まあ、明日になったら声が枯れててバレるから、いいか...」
「待て、いつも誰かに何か言われているのか?」
「え、今更」
「誰だ」
「怖いから言わない」

「やだやだ、それより許すから続き、...して」

わざと彼を煽るように呟いて、包帯の上から、やおらにバザラガの頬を撫でる。彼はひとつの瞬きの間、それを享受した。しかし次の瞬間にはわたしの手のひらを掬って、体勢を変えるように促す。好きだと言ったことなど一度もないのに、これがわたしにとって最も快楽の大きいことを経験から学んでいる彼は、決まってわたしを甘やかす時はこの体位を選んだ。甘やかされているのか、それとも追い立てられているのか、わたしにしてみたら際どいところだったが、それでも腹にベッドがあり、背に彼の体温を感じると、えも言われぬ安心と快楽に満たされるのは確かだった。絶対に収まらないと思っていた質量の殆どを飲み込んで、再び満たされる喜びを貪ってはその先を求めるわたしを、彼は時々微かに目を細めて眺めては幾度も食らった。彼はこうしてわたしを全て知ろうとする。しかしやがて気を失うように眠りにつくわたしが、おやすみ、という彼の声をどうにか聞き逃すまいと願っていることだけは、きっと未だに知らないだろう。そっと傷跡を指先が撫でて、優しい声が降る。


「おやすみ、...良い夢を」










レプリカ・ブラック


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