窓ガラス一枚隔てた向こうで、夜の漣の音がする。海の底のような静寂が揺蕩う合間に、途切れ途切れの息遣いが生まれては溶けていく。温かい手のひらに撫でられた髪がさらりと砂のような音を立てて揺れた。仗助、と呼べば、繋いだ手を強く握られる。一回りも大きい手のひらから伝わる熱が愛おしくて、わたしはぎゅうと仗助に身を寄せた。微かに喉を鳴らして笑う音が心地よく響く。深呼吸をすると仗助の匂いが鼻先をくすぐって、肺を満たした。

さん」
「なんでしょう」
「もっかいチューしていいっスか」
「また?」

額に熱い唇が落ちてきて、擽ったさに小さく笑う。顎を指先で掬われて唇を食むように重ねられ、甘い息が漏れる。可愛い、そう言って仗助がぐいとわたしの上に覆い被さるように深く口付けると、びくりと体が揺れた。繋いだ手をぎゅうと握れば、それに応えるように仗助がやんわりとわたしの頭を撫でる。ぺろりとわたしの唇を舐めて、仗助はそっと唇を離した。劇薬のように一度味わったら忘れられないような熱を孕んで視線が絡まる。それから一瞬、サファイアの瞳が和らいで、酷く愛惜しそうにわたしを見つめるこの瞬間が、わたしはとても好きだった。何も人生で初めての恋ではないはずなのに。出来るだけ表に出さないようにしているつもりでも、実際はまるで少女のように恋に突き落とされたような心地だった。ふ、と目元を緩めて笑って、仗助はわたしを抱き締めてそっと頬を寄せた。月明かりに反射する海が、天井にきらりきらりと揺れる。

さんよお~、そんな熱い視線で見詰められるとさすがに照れるっスよぉ~」
「そんなつもりじゃないでーす」
「もっかいチューします?」
「しない!」

くわっと怒るわたしをどうどうと宥めて、仗助が笑いながら一つ息を吐く。ざあん、と浜辺へ打ち寄せる波の音が、再び部屋に海底の静けさを運んでくるようだった。

「...そういえば、別にビビんなくていいっスよ」
「え」
「歳の差とか、そういうの」

気にしてたでしょう。そう言って不意に仗助がニヤリと笑う。なんで、と言いかけて、わたしは瞬時に、つい先日、カフェ・ドゥ・マゴで承太郎と交わした会話を思い出した。仗助の腕の中で藻掻いて何とかその顔を見上げると、彼はヌフフと笑って嬉しそうにわたしを見詰めている。

「ダメっスよ~、仗助くん結構色んなこと知ってんスからね」
「この高校生すっごい怖い」
「ちょっ誤解しねーで下さいよ、あの時はたまたま通り掛かったんスよ!」
「へえ~」

カフェ・ドゥ・マゴは味も雰囲気も良い店だが情報がダダ漏れすぎやしないか。そんなことを思いながらどことなく居た堪れなくなって、わたしはそっと視線を流す。少し前、この部屋でわたしのことを好きだと言ってわたしを陥落させた仗助は、時々確かに歳の差など意識からすっ飛ぶくらいに大人だった。背格好自体が年相応ではないせいもあるだろうが、しかしそれだけではない。それなりに恋人らしく時を過ごすようになって、それは大人びているという言葉よりも、彼が生まれ持った優しさや繊細さという言葉の方がよく似合う、とわたしは確信染みて思うようになっていた。

「...気にしないって言ったって...事実だよ」
「まあ、それはそーなんスけど」

でもですよ、と仗助はそのまま言葉を続ける。大きな手がわたしの頭を一つ撫でる。

さんは女でオレは男ってのも事実っスよね」
「そうきたか」
「そして好きな女は全力で守りたいと思う男っスよオレはァ~~」

ぎゅうとわたしを抱く腕に力を込めて、仗助が言う。腕の中に収められて、わたしには仗助の表情は少しも伺えない。しかし頭上から降るその優しい声は、いつか初めて海へ潜った時に体を攫った波のように、力強くて柔らかかった。

「...だからさん、オレの前で気を張って大人になる必要なんてねーんだぜ」
「何言ってんの...」
「オレの前ではいつでもカワイー女の子でいてくれて良いってことっスよ」

ね、と同意を求めるような声は、仗助の腕の中に埋もれてよく聞こえなかった。わたしは笑おうとして溢れる嗚咽を堪えながら、仗助が許すまま彼の胸に顔を埋める。彼に許されて自由になる分だけ、なるべきものがわかる気がした。感情を抑えて大人しく何かを諦めることを大人とは言わないし、そもそもわたしがなりたいのは大人なんかじゃない。わたしが望むわたし自身だ。

「よしよし」
「仗助」
「お?元気でました?」
「キスして」
「......」
「して」
「......さんそれやべーっス...いまグレートに可愛いっスよ...」





ぼくの甘いおんなのこ


08192017