「あれ?承太郎さん、おはようございます」
「...康一くんか、おはよう」

休日だってのに早いですね、と康一が笑うと、承太郎は彼と彼の連れている巨大な犬を見ながら、少し町を見て歩こうと思ってね、と大した抑揚もなく言った。奇しくも同じ方向へと歩み出した承太郎を横目に、康一は一つ微かに溜息をつく。彼が仗助の甥で、とても強く、悪とは対極にあるような人間だということは、この短い付き合いでも十分分かっているつもりだ。しかしこのなりでこうも口数少なに寡黙を貫かれては、一介の16歳はその威厳に気圧されるしか為す術がない。飼い犬のリードを引きながら、それでも康一はこの肌を刺す沈黙を散らそうと、話題を探すべく頭の中の引き出しを引っくり返した。そしてはたと顔を上げる。

「そういえば今日はさんは一緒じゃあないんですね」
「ン...ああ、彼女はまだーーー...寝ている、かな」
「へえ、さんってすごくキッチリしてそうなのに!遅起きなんですね、意外だなあ…」
「そんな風に見えるかい」

承太郎は腕時計から視線を上げて僅かに意外そうにその翠の双眸を康一へと向けた。これも意外な反応だなあと思いながら、康一は鼻先を草むらに突っ込んでうろうろと探索をする自身の飼い犬に負けて少し立ち止まる。そう見えますよ、と言って犬に向けた視線を再び承太郎に戻すと、彼は少し遠くを眺めたあと、そうか、と言った。その視線の先から、梅雨の前の僅かな時期にだけ吹く、鮮やかに煌くような風がやってきて頬を撫ぜる。康一にとって、承太郎は紛れもなく中身の見えない完璧な大人だったし、彼の妻であるは正しさを身に纏った淑女だった。初めて二人を揃って見かけた日、妻であるその女性は夫の側に寄り添いながら、しかし日常で見かけるカップルのような甘ったるい気配もなく、凛とした印象で自分らを見ていた。それはどこか冷たさも感じられるものだったが、大人というものは総じてそういうものだと康一は頭のどこかで思っていた。

さんは何ていうか...大人の女性~!って感じがします。この間承太郎さんに紹介してもらった時も、承太郎さんの良き妻って感じだったし...それにさんが承太郎さんを見る表情っていうのかな、雰囲気がとっても幸せそうで、僕なんか思わず、いいなァ~!ってお二人に憧れちゃいましたよ!」
「康一くん、そう言って貰えるのは嬉しいがそれは買い被りというやつだぜ」
「そうかなあ...でもほら、承太郎さんだって今何だか幸せそうじゃあないですか?」
「...」

用を済ませて進み出す犬に合わせて、康一が歩を進めながら隣を見上げると、承太郎はその帽子の奥に双眸を潜めていつものように沈黙を従えていた。やっぱり承太郎さんだって奥さんのことが大好きなんじゃあないか。胸中でそう呟いて康一はひとつ小さく笑った。だけではない。普段は寡黙で排他的な印象を与えがちな承太郎だって、の横では自らの妻を視界から外すことのない、愛する者を思いやり守ろうとする優しい男だった。背が高い承太郎に対して康一より少し背が高いくらいのではお世辞にもバランスが良いとは言えないし、彼らは巷で羨まれるような甘くてふんわりとした雰囲気で癒しを与えるような夫婦でもない。しかし、その夫婦は揃うと不思議と調和して見たものの記憶に鮮烈に焼きつくのだ。その様子を眺めるのは、真冬の夜中にたった一人で満点の星空を眺めることに似ていた。肌を刺すような寒さに凍え、たった一人その寒さを共有する相手もいない孤独の中で、天を覆う星空を見上げた時の、胸を温めて満たす感動に似た感情。

「承太郎さんのスタープラチナとさんのスタンドもお似合いだったなあ」
「やれやれ...あいつのアレは悪い癖だぜ」

承太郎もその場面には心当たりがあるのか、鍔を掴んで帽子を被り直しながらひとつ溜息を落とした。康一が怪訝そうに視線を上げると、不意に承太郎の持つ電話が鳴る。先程の声音より明らかに低いトーンで電話に応対する様子から、それが彼らと関係の深い財団からの電話だろうと推察して、康一は僅かに空を仰いだ。この街に潜む脅威はまだ去っていない。それが何かも、どこにいるかも分からない。しかし、この街には頼もしい友人達と、冬の夜のように凛として揺らがないこの夫婦がいる。

「康一くん、悪いがこの辺でタクシーを捕まえられそうな所はあるかな」
「今の時間なら一本向こうの通りで流しのタクシーをよく見かけますよ。お仕事ですか?」
「そうか、ありがとう。いや、ヒトデだ」
「......ヒトデ?」






金の環と銀の河




090717