仗助はその口を閉じるどころか呼吸さえ忘れそうな程の衝撃を受けていた。待ちに待った大型連休初日の朝、少なくとも、駅前に向かう途中でアンジェロ岩をじっと見つめる少年を見掛けたところまでは、それが何てことのない日々の風景だと仗助は思っていた。しかしその少年が仗助の視線に振り返った瞬間、何てことはない日々の風景なんてものはどこにもなくなる。見覚えのある、意思の強そうなペリドットの瞳。仗助は、文字通り彼を二度見して硬直した。

「え、承太郎さん...?」
「...」
「.........なわけないよな~ッ!どう見たって目の前にいるのは小学生だしよ~。よう少年、観光か?」
「きみ、空条承太郎を知ってるのかい?」
「............おめー、まさか」
「敵じゃあないよ」

僅かに表情を険しくした仗助が何を思ったのか察して、少年はその宝石のように透き通った翠の双眸を薄く細めて笑った。

「空条承太郎は僕の父親だ」

人通りもない午前中の長閑な杜王町に、その声はひどく堂々と響いた。もはや仰天したどころの話ではない。仗助は一瞬遠退いた気をなんとか持ち直して、父親を探している、というその少年を屈みこんでもう一度まじまじと眺める。少し癖のある黒髪に翠の双眸、それを縁取る長い睫毛、揺らがぬ信念を表すような眉。初対面で言われたって絶対に信じない言葉を補って余りある真実が、目の前に並んでいる。それは血の繋がりがなければ理屈が通らないものだ。仗助は、グレートだぜ、と降参するように弱弱しく呟いた。

「こりゃあ本当に承太郎さんの子供らしいな...」
「それで、父さんを知ってるの?」
「知ってるも何も、俺はあの人の叔父ってやつらしいぜ」
「...道理で、雰囲気がどこか似てると思った」

驚かないということは大叔父の存在を既に知っていたんだろう。口ぶりは大人びているが、笑うと年相応の表情を見せる自身の又甥に釣られて笑って、仗助はよいしょと立ち上がる。ひとまず問題の甥が泊まっているホテルに電話をかけるべく、彼は甥の息子を連れて駅前に向かうことにした。承太郎さんにそっくりだなどと思いながら歩き出した仗助だったが、不思議なことに互いの自己紹介を済ませ、いくつか雑談をしながら目的の電話ボックスに着く頃には、仗助は彼が承太郎でなくその妻であるに似ているような心地になっていた。彼の話しぶりや、笑い方にはどこか彼女を彷彿とさせる軽やかさがある。電話ボックスの中、仗助は電話口で承太郎らが泊まっている部屋を呼び出すコール音を聞きながら、こちらを見上げてくる少年に小さく笑んだ。一人の人間に二人の人間の面影をみるのは不思議な感覚だった。

「.........ハイ」
「あ、さんスか?俺です、仗助です。あの~ですね、さっき空条くんていう男の子と会ったんスけど」
「........................」
さん?もしかして寝起きっスか?」
「......仗助、いまどこ?」
「駅前っス」
「なら、承太郎がどっかその辺にいるはずだから探して」
「探してって、休日の駅前っスよ~!?いくら承太郎さんが目立つとはいえ」
がやるわ わたしも準備したらそっち向かうから」

宜しくね。そう言って電話は切れた。引き止める声も虚しく、通話の終了を知らせる音が受話器から機械的に落ちてくる。仗助は一度溜息をついて受話器を置くと、どうしたものかと少年を振り返った。何を口にするまでもなく、空条少年は大叔父の問題をその表情と漏れ聞いた会話から察している様子だった。

「母さん、どれくらい怒ってた?」
さんが怒ってるとこ俺はあんま見たことねーけど、たぶん結構機嫌悪かったぜ~...ありゃあうちのおふくろとはまた違う怖さがあるな...」

大きな双眸を見開いたまま、大叔父の言葉にふるりとその少年は身を震わせた。どうやら彼にとっては、周囲から恐れ慄かれることの多い彼の父親よりもずっと、母親のほうが恐ろしいようだ。生まれてから数年前までは、母親とその両親と暮らしていたというから、同じような境遇で育った仗助にはその感覚が分かるような気がした。

「そんでよ~、さんが、承太郎さんがこの辺にいるから探せって言うんだぜ...無茶だぜ、いくら目立つからってこんな街中で」
「それなら僕がやるよ」
「あ?おめー何言って」
「仗助、ちょっとそこの屋根の下にいて」

はそう言って仗助が呼び方を正すのも気に留めずぐいぐいと彼を駅舎の下へ促すと、じゃあ探そうか、とその父親譲りの美しい瞳を面白そうに細めた。いつの間にか彼の背後には黒耀のように美しいスタンドが佇んでいて、その揺らがぬ瞳がちらと仗助を一瞥する。途端、空から大粒の雫が降った。一週間前の天気予報から快晴と言われていた日に突如降る雨は、あちらこちらで悲鳴を生み出しながら楕円形に範囲を広げていく。は予想外の雨粒から逃げ惑う人々にも素知らぬ顔でしばらく双眸を伏せて何かに集中していたが、やがてぱちりとその長い睫毛を揺らして瞳を開くと、見つけた、と口角を上げて言った。

「こっちに向かってる 南東200m先...驚いてる...いやちょっと怒ってる...かな」
おめースタンド使いだったのかよ...」
「...僕のスタンドは雨を降らせて...雫が触れた物の位置を探るんだ。生き物なら体温や心拍数である程度感情も読めるんだけど...それはまだ勉強中」
「こりゃあ驚いたぜ...すげーなお前」
「僕は父さんや仗助みたいなスタンドが良かったな」

そう言って自身のスタンドを仕舞うは、どこか少し寂しそうに笑った。とても真っ直ぐな父親への憧れが少年の口から音になって溢れ落ちる様子に、仗助は自分は幼い頃どうだったろうかと思った。祖父への憧れが、所謂父親への憧れのようなものだったのかもしれない。しかしそれはあくまで祖父への憧れであって、実際のところ父親のことなどさして考えたこともなかった。

「不思議なもんだな...」
「なにがだい?」
「いや、だってよお、おめー数年前まで承太郎さんとは会ったこともなかったんだろ?父親って言ったって殆ど他人みてーなもんじゃあないの?」

それは仗助にとって純粋な疑問で-----そして現実だった。自らの父親の素性を知らされても、自分にとって何らの驚きも変化もない。自分が生まれたということはどこかに父親がいるはずだし、それを知ったところで急に自分が自分でなくなるということもないのだ。それは例えば目の前に置かれたりんごの品種を知らされるのと同じ程度の驚きでしかなかった。しかし、目の前の少年はあたかも父親と育ってきたかのように、彼の父親である承太郎を慕っている。

「僕にとって父さんが他人だったことは一度もないよ」

不思議なことを言う、とでも言いたそうな顔だった。は僅かに小首を傾げる。こうして見ると、やはり母であるの面影がある、と仗助はどこか彼を観察するように眺めた。

「小さな頃から母さんがずっと父さんの話をしてくれてたんだ。父親っていうのが傍にいないのは寂しかったし、母さんが大変な思いをすることが多かったから嫌だったけど、でも父さんの話をする時の母さんはとても誇らしげで嬉しそうだった。だからきっととても素敵な人だと思った」

そしてその通りだった。そう言って笑う少年の存在は、彼の父親にとってとても心強かったに違いない。仗助は自身の母親と目の前の少年の母親が、数多の苦労のなか、しあわせな御伽噺を紡ぐように彼女たちの恋を語る女性でよかった、と思った。そのおかげで息子たちは、こうして誰かを不必要に憎まず縛られることなく生きられる。父親たちは自分の息子に憎まれずに己の人生を生きられる。

「それに父さんは母さんを幸せにするから好きだ」
「そういうお前は母さんを怒らせてるぜ」

そして若干俺のこともな。真夜中の閑の海のような声が空条少年の頭上から降ってきて、彼は驚きに飛び上がって次の瞬間には父さん、と目を輝かせた。承太郎はやれやれ、と小さく溜息をつく。しかし、帽子の下で息子を見詰めるペリドットの双眸は、長い睫毛に縁取られて柔らかに細められていた。父親の大きな掌に頭を撫でられて、が擽ったそうに笑いながら手を伸ばせば、当然のように承太郎の腕が息子を軽々と抱き上げる。視線の高さが揃うと、深くて豊かな承太郎の声が、僅かに真剣味を帯びて息子の名前を呼んだ。それは傍で親子の再会を見守っていた仗助すら咄嗟に姿勢を正す程の絶対的な音だった。

「じいちゃんとばあちゃんの家で待っていろと言われていたはずだな」
「うん でも父さんに会いたいって言ったらホリー婆ちゃんが」
 人のせいにするんじゃあない」
「...ごめんなさい」
「...俺もも意地悪でお前に待っていろと言ったわけじゃあないんだぜ 父さんたちがお前にお願いをする時には、ちゃんと理由がある そしてそれはとても大切な理由だ」

自分の望むことや不満じゃあなくそれを考えたことがあるか、と、承太郎はその強い双眸を、抱き上げている自身の息子へとても真摯に向けていた。会うのを楽しみにしていた父親に再会早々こんなに訥々と叱られては、さすがのも泣くのではないかと仗助は思ったが、しかし父親の双眸を真っ直ぐに受け止める若い翠の双眸は、泣くことも怖がることもなく一所懸命に父親の言うことを聞いていた。それはまるでいつか映画で見たような師匠と弟子のようでもあった。

を怒らせるくらいなら構わねーが、あいつを泣かせたら承知しねーぜ」
「......わかった」
「よし」

そう言って承太郎は苦言の終わりを示すように、緊張した様子の息子の頭を撫でて、その額にそっとキスを落とした。側で一部始終を見届けた仗助は、承太郎の父親としての一面に感嘆の声を漏らす。普段とはまた違う、父親たる威厳を纏う男を改めて格好良いと思いながら、はたと仗助はとの会話を思い出して承太郎を見遣った。

「そういえばさんが来るって」
「ああ、聞いている カフェで待つと言っておいた...仗助、お前にも何かご馳走しよう 面倒をかけたからな」
「え、いいんスか?!ちょうど腹減ってたんスよね」
「父さん...」
「どうした?」
「母さん、どれくらい怒ってた...?」

カフェ・ドゥ・マゴへ向かって雑踏の中を歩いているというのに僅かにボリュームを落としたの声に、承太郎と仗助はほんの一瞬沈黙した。仗助はがあまりに心配そうなので笑い出しそうになったが、笑えば彼の父親に恨みでも買いそうな気がして必死に気を逸らす。カフェについたら何を食べようか、とか、今日このあとの予定をどうしようか、とか、そういったことを考える仗助の横で、承太郎はその帽子の下の双眸を伏せて、やれやれ、と溜息を漏らした。

「もうすぐわかる それに、お前が怒らせたんだ 自分の目で確かめるのが筋ってもんだろう」

なに、殴られそうにでもなったら止めに入ってやる。そう言って片腕に抱いた息子を見遣る承太郎の双眸は、僅かに笑みを含んで試すようにに向けられていた。快晴の空の下、3人に向けられるカフェの店員の愛想の良い挨拶が、心地よく日常を彩っている。





ユートピアの砦


20170915