それは突然の報せだった。三代目火影からの緊急招集に嫌な予感を抱えながら執務室へと急ぐと、カカシはすぐにその物々しい雰囲気に勘付いた。慌ただしい執務室の中で、三代目の顔は険しい。どうか最悪の事態ではないようにと胸中でだけ呟いて火影の前に向かう。唯でさえ刺すような寒さだというのに、指先が酷く冷えて仕方がなかった。

「三代目」
「お前が里にいてよかった、カカシ、いやキュウゾウ」
「一体何があったんです?」
「お前には酷なことを頼みたい。これから小隊を率いて救出任務に向え」
「...まさか」
「任務に出ていたの隊が全滅した」

押し殺すような猿飛の声音は、極秘情報ということもあっただろうがそれ以上に込み上げる感情を抑えているように響いた。猿飛の言葉が響いた一瞬、喉に何かがつっかえたように息が詰まる。カカシは目を瞠ったまま、早く小さい呼吸を繰り返す間に、嘘だろ、と呟いて眉根を寄せた。暗部のテンゾウと並んで、は隊の生存率が高いことで知られている。それは彼女自身の医療忍術の腕の確かさと、そうして忍としての能力の高さを示すことに他ならない。それが、全滅だなんて。カカシは、頼むから誰か嘘だと言ってくれと思う自分を押しやって、様々な指示を飛ばす猿飛を見据えた。

「全滅ということは、全員分の遺体の回収は済んだんですか」
「いや、だけが見つからない。雲隠れの里での任務からの帰還中に襲撃にあったようだが、詳しいことはまだ」

すまない、と猿飛が短く返すと、カカシの背後に複数の人間の気配が突如現れる。揃ったか、と猿飛が改めて執務机越しに向き直って、状況説明を行う。遺体発見場所と、判明している限りのその後の足取り、武器と敵の規模。簡潔に手短に共有を済ませる猿飛の双眸には、カカシが入室した時に見た、憂いや悲しみは一欠片も見当たらなかった。代わりに、救出作戦に向かう忍たちに向けた力強い意志が煌めいている。敵も目的も不明、救出対象の生死も不明。

「隊長をキュウゾウ、補佐をテンゾウが務める。15分以内に出発しろ。生きて帰って来い」

猿飛の声で、それぞれが準備のために散開していく。了解、と返して執務室から身を消したカカシの声は、酷く事務的なそれだった。しかし猿飛は幾度も聞いてきたその声に、里でもトップクラスの優秀な忍は、必ず目的を果たして帰ってくるだろう、と確信に近い信頼を寄せた。そして、頼むぞ、と重く雲が垂れ込める空を見遣って、再び猿飛は忙しなく入ってくる情報に耳を傾けた。

火の国の国境付近で、木々の間を小隊と共に跳びながら、カカシは己が召喚した忍犬らの後を追う。容赦なく降る雨が一層冬の気温を下げる中、救出のための捜索は想像以上に困難を極めた。休憩と状況把握、捜索を幾度と無く繰り返して数時間、神経を研ぎ澄まして、周囲の情報を拾い集める。目先をゆく忍犬が鼻を上げて速度を落とし、立ち止まると、カカシは片手を背後へ向けて止まれと小隊へ命令を下した。何か決定的な手掛かりがあったわけではなかったが、しかし忍犬が立ち止まったのと同様、情報と状況を見る限り近くにいるはずだとカカシは思っていた。ぽたぽたと面を滴る雫を払って、身を屈める。テンゾウが小隊へ索敵のハンドシグナルを飛ばす。雨粒を薙いで風が吹く。ぴくりとカカシの体が僅かに緊張する。敵、10。ファイルフォーメーション。豪雨の中で突然何の予兆もなくカカシが飛ばすシグナルを、テンゾウが一つの狂いもなく迅速に拾って倣う。小隊が返す了解のシグナルを確認して、テンゾウはカカシの背を見詰めた。テンゾウもよく知る今回の救出対象は、目の前で隊長を務める男にとって、酷く思い入れのある存在だった。猿飛から万が一の際のストッパー役としての任も受けているテンゾウは、しかし果たして自分だけで彼を止められるだろうかと幾度もそうなった場合の対応を頭の中で組み立ててきた。頼むから万が一など起きないでくれ、と思う。それにはもちろんカカシへの心配りもあったが、しかしそれ以上に、カカシの指南のもと技を磨いてきた一際センスの良い忍の戦力を失うのは惜しいという気持ちのほうが強かった。一度弱まった雨脚が、次第に強くなっていく。雨に打たれるカカシの背中は、暫くの間微動だにしなかった。





意識を取り戻すことと手放すことを繰り返す度にその間隔が狭まっていることで、は自身の限界を悟り始めていた。両手両足を拘束され動けないどころか、両手を縛る縄の先が壁にクナイで固定されて地面に倒れることも儘ならない。ああ、と最早溜息にもならないほど小さな息を一つ漏らして、は目を閉じた。繰り返される幻術と暴力の拷問で、何を考える力もない。監視役の忍たちの呼吸と外に響く雨音を聞きながら、はいつ手放すか分からない意識でこの任務の前の休日に一緒に過ごした少年のことを思う。好きだと言われてから、もうすぐ1年だねと茶化して言う自分の声が蘇る。彼は自分が今こんな状況に置かれていることを知る由もなく、いつもの様に任務に励んでるんだろう。想像して、ふふ、と唇だけで微笑う。このまま自分が力尽きて、帰ることがなくても、どうか誰かを責めたり憎んだりしないで欲しい、と思う。そして願わくば、自分の代わりに、少しだけ寂しくてとても優しい普段の彼を憎しみや悲しみから守ってくれる誰かが、傍にいてくれればいい。ゲホ、と咳き込むと、刺すような激しい痛みが体中を走って、酷く嫌な音を立てて唇から多量の血が溢れた。痛みからか、悲しみからか、恐怖からか、もう重たくて開けられない瞼の間から睫毛を滴って涙が落ちる。もう取り戻せないかもしれない恐怖に駆り立てられて、遠退いていく意識を必死に繋ぎ止める。カカシが、7年前、孤軍で救ってくれた命だ。簡単には諦められない。雨音が強くなる。ぽた、ぽたと唇から顎を伝って落ちる雫の音がする。もっと一緒にいたかった、と不意には思った。自分が臆病すぎて触れられなかった人のことを思うと、朧な感覚が僅かに、一瞬、はっきりとする。もう殆ど残っていない気力が腹の中で熱を持つ。暗部に所属するカカシはきっと今頃、自分が任務でしくじったことを知らされているに違いない。いなくなったら、酷く悲しんで、そうして彼は彼自身を責めるだろう。一度弱まった雨脚が一層強くなる。の意識が遠くなる。例え救えなかったと責める時があっても、それでもその悲しみを抱える傷に重ねないで、とは最後にはそればかりを願っていた。





突破の合図がカカシの手で放たれる。轟々と降る雨の中、援護するとの最後の指示を受け取って、テンゾウは戸口へ向かうべくカカシの横をすり抜けて眼下へと跳んだ。カカシは僅かに背後へ意識を向けて、小隊が指示通りに狙撃に回ったのを確認すると、テンゾウを追って酷く泥濘んだ地面へと音を立てずに着地する。テンゾウがカカシの傍の敵へ投げたクナイが刺さると同時に、掴んで深く喉を斬り上げて、崩れ落ちる体を受け止めて静かに地面へ落とした。雨音で聴覚が遮られ雨粒が烟って視界が遮られる中交戦しながらテンゾウが視界に入れ続けているカカシは、銀色の髪が烟る雨の中で獣のように踊るのを見る間もないほど、恐ろしく速く、静かに敵を捉えて仕留めていく。殆ど音を立てずテンゾウが建物の戸口へ辿り着くと、僅かに遅れてカカシが反対側の戸口の傍に屈み込んだ。援護しろ、の指示のあと、やれ、と合図が出る。テンゾウが細心の注意を払って指先で扉の鍵を開けると、それと同時にカカシが建物の中へと滑り込んだ。カカシによって敵の数は右に2、左に1と知らされている。後を追うように踏み込んだテンゾウが、左方の敵と右に向かったカカシの2人目の獲物へ同時にクナイを放って、そのまま左に跳んで敵を屠ると、突然その場を恐ろしいほどの静寂が覆った。終わった。テンゾウは一つ息をついて、外の敵の排除に回っていた医療忍者が駆け寄ろうとするのを片手で制止する。状況を尋ねると隊員は、負傷1、と静かに答えた。負傷ならまだいい、とテンゾウは視線を前へと戻す。

「テンゾウ、5分で出る」
「はい」

壁に差し込まれたクナイを引き抜いて、カカシは幾度も血で濡れた手足を縛る縄を切り落としながら、、と数度呼び掛ける。もう殆ど力の抜けた体を地面へ横たえながら、雨に濡れた指先で口元の血を拭ってやると、微かに睫毛が揺れて返事が聞こえた。カカシの合図で医療忍者が傍へ寄りの治療を開始する横で、カカシは雨音で掻き消されて殆ど届かないその音に言葉を返しながら、酷く冷えたの血塗れの手を握る。

、聞こえるか」
「...うん」
「もう大丈夫だ、本人確認の質問をするから答えてくれ」

テンゾウは外への警戒を続けながら、室内の壮絶な光景を静かに眺める。古い傷と新しい傷が入り乱れて、固まった血の上を生温い血が伝うの体の状態に、先輩、もうこの人は、と口をついて出そうになる言葉を胸中で押し殺して、雨音に耳を澄ませると、それを掻き消すようにゲホ、と一際大きな音がした。カカシが握る手とは反対の手が伸ばされて、カカシの面に触れる。

「キュウゾウ」
「喋るな」
「だいじょうぶ...過去は、繰り返したりしない」

何があったかは、知らないままだったけど、と薄く笑って、は目を閉じる。繰り返された幻覚が脳裏にこびりついて嫌になる。温かなカカシの手のひらに頭を撫でられながら、好きだと言いそうになる自分を雨音の向こうに押しやって、はついにもう一度でも取り戻せるか分からない意識を手放した。酷い雨音の中、誰にも気付かれず冷えた頬に熱い雫が一つ落ちたことを、いつまでも憶えていたい、と思った。










雫が流れる頬を
私だけが見ていた

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