ダイヤモンドを砕いて散らしたような陽射しが差し込んでいる。きら、きらと光るそれを見つめながら瞬きをすると、二度目の瞬きでようやく麻酔から目覚めたように酷く唐突な目覚めに気がついて、三度目でまるで光をもう何百年も目にすることがなかったような驚きと懐かしさが湧き上がる。思考することすらもう随分と久しぶりなような気がした。一体いつから寝ていたんだろうとぼうとする頭で最後の記憶を辿って、ようやくはその薬品臭い独特の匂いに包まれたベッドで身を起こす。

「...」

生きている、と思った。そんなこと、生きている人間が改めて実感するなど可笑しな話だが、呼吸をしていて、体が自由に動いて、抓れば痛い。生きている。ぽた、と頬を伝いもせずに雫が布団の上に落ちる。生きていることへの喜びと、そうして失ってしまった命の重さがいっぺんに押し寄せてくる。ごめんなさい、と掠れた声が喉を震わせる。自分だけが生き延びたことを、守り切れなかったことを、もう戻ってやり直すことすらできないことを、悲しい、と思った。皆覚悟して働いていると知ってはいても、この先何度でも繰り返すだろうと分かってはいても、その痛みを受け流すことがどうしてもできない。ぼろぼろと大粒の涙ばかりが溢れて、ダイヤモンドみたいに煌めく光の中に落ちていく。

?」

不意に名を呼ぶ声がして、ははっと視線を向ける。入り口で立ち竦んでいた声の主が、お前、と僅かに震える声で呟きながら室内に足を踏み入れ、両手でぎゅうとを抱きしめる。

「火影さま」
「良かった...」
「わたし......守れなかった」

どんなに治療してもだめだった。もう誰も失いたくない、みんなを守りたい。そう思っていたのに、仲間を救うためにいるはずの医療忍者である自分は結局誰一人救えなかった。声に出して言うと、生まれたばかりの感情が火のような熱さで雫になって落ちていく。ごめんなさい、と言う声を遮ってを抱き締める手を緩めると、猿飛は涙を落とすと目を合わせて向き合った。

「確かにお前が失ったものは多い...」

朝日の差す部屋は、猿飛がそう言って口を噤むと、きらりきらりと音がしそうなほど眩い静寂に包まれる。透明な涙に満ちたの双眸が、深い水底のように紺碧に輝く。

「だがどんなに守ろうとしたって守れない時もある」

それは生き残れるほどの力がなかったせいかもしれないし、守れるほどの力がなかったせいかもしれない。あるいはタイミングが悪いせいかもしれない。色々な理由で、色々なものが手から滑り落ちていく。そしてそれを止めたいと足掻いても、世界には、たった一人の人間が抗ったところで到底覆すことのできない運命も多くある。その運命に、お前は出会ったんだ、と猿飛は言う。真っ直ぐ、責めるでも慰めるでもない双眸が、を見つめている。

「でも、そんな、運命なんて」
「そうじゃ。それでもそうやって、その運命からたった一つでも大切なものを守るために、人は抗う」

ふと、猿飛は僅かに悲しみを添えて小さく笑んだ。はそっと自身の肩に置かれた猿飛の手に触れる。痛みを伴う過去を見詰める時、人はみんな同じ笑い方をする。

「あの日、お前は最後まで諦めず命を繋ぎ続けた」
「...カカシ達が見つけてくれなければ、死んでいました」
「うむ...あの日何時間とお前を探し続けたカカシも、諦めてなどおらんかったよ」

そうしてやっと一つ救えたものがあるだけいい。猿飛はの手を握って、大きく瞠った双眸で見つめてくるを心配気に見詰める。守ることに大きな意義を見出していたものを失えば失うほど、その揺らぎは大きいだろう。しかし、その荊棘を踏みしめて歩く道こそ、彼女自身が選んだ道だ。

「あまり自分を責めるでないぞ」

目の前にある優しい笑顔に、は一つ瞬きをして小さく笑んだ。熱い雫の最後の一粒が落ちて、頬を濡らす。失ったものを見詰めることも、過去を戒めることも、救われた命があって初めてできることだ。悲しみを受け入れることができなければ、きっと本当の意味で生き延びたことにはならない。

「...火影さま、ありがとう」
「早く元気になって、みんなにそれを言ってやりなさい」
「カカシは?」
「今は任務に出ておる」
「そう...」

朝日の中を赤い羽根の鳥が飛んでいく。胸を刺す痛みは癒えないまま、それでも両手で睫毛の先に残った涙を拭うと、はもう一度笑った。そのまますっくとベッドの上から起き上がろうとして、しかし、猿飛がそれを見越して妨げる。

「元気だよ」
「ばか者、半年も寝てたというのに...」
「...どうしても会いたい人がいるの」

猿飛と真正面から向き合って、はそう言うと僅かに視線を落とした。自信満々に言ったのはいいが、会って、言うべきことがきちんと言えるかどうかすら分からない、と胸中で呟いて苦笑する。その様子を見た猿飛が一瞬口を噤んだその合間に、きらりきらりと輝く沈黙が漂う。どうしよう、とが僅かに唸ったところで、病室のドアが開いて、ふわりと柔らかに花が香る。相変わらずねと微笑う声がした。

「火影様...私が付き添うというのでは駄目ですか?」
「紅姉さん」
「紅か...」

紅は一つ小さく笑んで室内へ足を踏み入れると、花瓶に活けようと持ってきた花束をそっとへと渡した。おかえりなさい、と言う声が優しく響いて、乾いたはずの双眸がまた滲み始めるのを感じる。うん、と言って、は一つ笑う。猿飛が大きく息を吐いて、仕方がない今回だけ目を瞑ろう、と言うのは、それから10秒も後のことだった。





紅の監視付きで病院を抜け出すことに成功したは、ひとまず自宅に戻りシャワーを浴びて着替えを済ませる。その間、が示した場所に言われた通りに格納されていた茶葉で沸かした紅茶を飲みながらダイニングでぼんやりと外を眺めていた紅は、脱衣所から出てきたを見るやいなや腰を上げ、徐ろに掴まえてを鏡の前に座らせた。え、と鏡越しに紅を見遣るに、ふふ、と軽やかな笑みを唇から溢しながら、紅は黙ってブラシでの髪を梳き始める。意図を察して、鏡台の上の瓶へと手を伸ばしたを見ると、ふと紅は、幼い頃の教育からか、血筋か、どんなにやんちゃをしても品の良さが見え隠れする不思議な女の子が年頃になって化粧を覚え始めた時、密かにハラハラしていた男を思い出した。

「病み上がりだからって手を抜いてはダメよ、男の子に会うんでしょ」
「あはは...」
「綺麗にしなくちゃ...特に、悲しい話の時はね」
「......なんで分かったの?」
「さあ...勘、かしら」

化粧をする手を一瞬止めたの双眸を鏡越しに受け止めて、慣れた手つきで綺麗に髪を纏めながら紅は静かに笑んだ。きらきらと、鏡の前に並んだ瓶たちが宝石のように煌めく。開いたベランダの窓から優しく秋の風が吹き抜けて、優しく首筋を撫ぜていく。化粧をして綺麗になる時、女でよかったと心底思う。くるりと口紅を回して仕舞う。後ろで纏めた髪に、紅が一つ花を挿してくれる。よし、と言って微笑む紅に笑い返して、ようやく里の人々が起き出す頃に、二人はアパートを後にした。秋の日差しがくるくると落ちる落ち葉を照らして降る道を歩く。スタミナに関してはカカシの苦言という定評もあるだが、それでも半年ぶりに出歩くとなるとやはり辛いようだった。目的の場所へ向かう間、時々立ち眩みを起こすを紅が幾度も支える。カカシに見られたらどやされそう、と胸中でだけカカシが任務に出ていることに感謝して、紅はが立ち止まった場所で手を離す。ここの住人と直接面識はないが、話では聞いている。足を踏み出して、ふと振り返ったに、ここで待ってる、と言うと、は僅かに緊張した笑みを浮かべて目的の部屋の窓辺まで跳んだ。



こんこん、と朝日を反射する窓ガラスを二度ノックする。見慣れない髪型の自分が鏡のような窓に映り込む。その奥で、歯ブラシを咥えたまま驚きに呆けていた少年が急いで洗面所へ向かうのを見て小さく笑うと、は彼の準備が整うのを待ちながら里の方へと視線を向けた。生まれたての陽射しが里を照らして、優しい風が木々を揺らして、里の家々から朝食の匂いが香る。それは何一つ記憶と違わぬいつも通りの朝だが、とても久しぶりの朝だった。

!」
「イルカ、おはよう」

歯磨きを急いで終えたイルカが勢い良く窓を開ける。は窓から部屋へと招き入れる少年に苦笑しながら、急に緊張し始めた己の心臓をどうしてくれよう、と思った。しかし、その対応を悩む間もなく、イルカにぎゅうと抱き締められる。ピチチと鳴く鳥の声が窓の外から聞こえる以外は、何の音もしない。懐かしい匂いだ、と思った。そっと背中に手を回して、双眸を伏せる。耳元で、やはり懐かしい声がする。

「嘘みたいだ」
「あはは...嘘じゃないよ、起きたんだよ」

やっとね、と付け足して、もう一つ笑うと、イルカは少しだけ抱く腕に力を込めて、そうしてそっとを開放した。窓から差し込む朝日に、イルカの真っ直ぐな双眸が黒曜石のように煌めく。変わらない優しさがそこにある。は恐れていたようには失われずに済んだその優しい瞳に向き合って、もう一度音もなく微笑んだ。言うつもりだったとはいえ唐突な話題を、どう切り出すか悩んでいたはしかし、イルカの様子にはたと思考を止める。

「何しに来たのか、聞かないのね...」
「...何となく、が眠っている間、俺が考えてたのと同じことかなって思ってる」

座ってとダイニングの椅子へとを向かわせながら、イルカはほんの少しおどけたように笑う。それは他人に気遣わせないようにするための彼の癖だった。は、ありがとう、と言って椅子に座って、目を伏せる。向かいの席にイルカが腰を下ろしても、咄嗟に、何を言えばいいのか分からなかった。好きじゃなかったわけじゃないのも、嫌いになったわけじゃないのも本当だったが、ただ、いつまでもそう言って気付かないふりはしていられない。大好きな人も、好きな人も、嫌いじゃない人もたくさんいる。でも、特別はそうじゃない。

「...イルカ、わたしね、好きだと思う相手のことは、喜びも悲しみも過去も未来も、全部受け入れて守ってあげたいと思ってた」

そしてずっと隣で寄り添って、安心して一緒に過ごしていきたかった。イルカはとても真摯な目での言葉を聞いている。ああ、あの日もそうだった、とはその双眸を眺めながらイルカに想いを告げられた日のことを思い出した。優しい思い出が、じわり、と双眸を温める。

「全部を受け入れる勇気さえ生まれない気持ちはきっと特別なんかじゃないと思ってたのよ」

だから、と視線を逸らして、言葉を区切る。そっと息をすると、鮮やかに蘇る雨の音がする。

「...、君が魘された時、医者以外に君を落ち着けられる人が一人だけいた」
「え...」
「全部を受け入れようとしてもその勇気が持てないから、特別なんだろ」

それはとても静かな声だった。イルカは一つ大きく息を吐いて、目を伏せる。似ている、と思った。自分たちは皆、大切なものを失うことに怯えて近付けない臆病者同士だ。でもそれでは、大切なものに触れることすらできない。

「きみは一番大切な人を一番近くで失う時の痛みが怖かっただけじゃないか」

イルカの声に、は視線を逸らしたまま僅かに目を瞠る。暫くの間、部屋の中には早朝の風に吹かれる沈黙が揺れていた。幾度かそれが風に吹かれた頃、ようやく、分かってる、と微かな声が沈黙を割る。イルカはそっとの手を掴む。自分では、あの日魘された彼女を宥めた彼のように彼女を安心させてやることはできない。だからこそ、失う前に掴んでほしいと思う。

「失う未来ばっかり考えても幸せにはなれない。怖くても、本当に失ってしまう前に、幸せになるべきだ」
「...ありがとう」
「何かあったら、いつでも助けになるからな」
「わたしも」
「おう」

イルカは涙を湛えながらからりと笑うの頬を撫でる。少しの間見つめ合うと、朝日が差し込む静かな部屋で、二人は触れ合うだけのキスをした。鮮やかな秋の風が窓から流れこんで、部屋の奥へと消えていく。イルカがの手を離すと、はもう一度、ありがとう、と言って微笑んだ。ふわりと風に乗って花の香りが二人の鼻先を掠める。窓辺から出て行くを見つめながら、イルカは酷く穏やかな自分の気持ちに驚いていた。いつか未来でこの恋の話が話題に上る時があったら、その時、きっと自分たちは昔みたいに二人で溜息をつきながら、自分たちも年を取った、と大真面目にふざけ合って笑うに違いない。が出て行った窓を見つめて、イルカは一つ大きく笑った。










その光の透明感と持続力について
110113