、携帯鳴ってるよ?」
「え?」

商店街の外れ、赤い古いポストの見えるレトロな雰囲気のカフェ。久しぶりに会うイタリアの友人とゆっくりとお茶でもと思っていたは、しかし無残にも無機質な携帯の音にその予定をぶち壊された。目の前に座る友人に断って遠慮がちに、しかし心底腹立たしそうに応えると、携帯の向こうの声は聞き覚えのあるもの。いつも洒落たスーツを着ておしゃぶりを下げている、ハットが似合う赤ん坊のそれ。


「リボーン...なによ?」
「ランボが襲撃に遭って危ねーぞ」
「...なんですって」
「お前いま商店街の近くに居るんだろ?場所はそっから東に行った先の空き地だ」
「そりゃご丁寧にどうも、...場所まで分かってるならあんたが助けに行きなさいよ」
「ランボの飼育係はお前だぞ」
「...そーでしたー」
「じゃあな」

パチリ、と軽く音を立てて携帯をしまう。心得たようにこちらを見ている友人に、はそれでも何度も頭を下げてカフェを出て、リボーンが言っていた場所へと渋々向かう。まったく、世話役も楽じゃない。あの子牛みたいな生き物はどこに行っても災難に遭うんだから、これはもうある意味一種の才だろう。そもそも、遥か遠方のイタリアから呼ばれて来たというのに四六時中やることといえばこんな子守りだなんて、まったくの想定外だ。獄寺じゃあなくてもアホ牛と言いたくなる気持ちのひとつやふたつ、あってもおかしくない。胸中でだけそう悪態をつきながらしばらく走るとその先に何やら騒がしい空き地が見えて、はペースを上げる。春先で風は暖かく天気ものどかだったけれど、聞き慣れた泣き声がして体の芯が冷えた。どこに行っても災難を拾ってくる子牛のランボ。わんわん泣いてガハハと笑ってとてもよく眠るちいさいランボ。きらきらした目で飴玉をねだる五歳の。世話してたら可愛くって仕方なくなってしまっただなんてちょっと笑える話で恥ずかしいけれど、事実だからしょうがない。

「ランボ!」
「わあああん!」

が駆け込むのと同時に大きな音がして、大量の煙が辺りを包んだ。あまりにタイミングが良すぎたせいで、敵の顔はもとよりその位置さえ掴めない。辛うじて一瞬見えたランボの位置に向かってもう一度名前を呼ぶと、その方向からやれやれ、と小さく溜息をつく声がした。すぐに風でほとんどの煙が流されて辺りが晴れ、はそこに思ったとおりの姿で思ったとおりの表情をして立っているランボを見つけて目を眇める。なにがやれやれ、だ。やれやれと溜息をつきたいのは間違いなくわたしのほうだろうが、とは胸中だけの言葉。

「・・・!あいたかった!」
「・・・わかったからランボ、手を離して、危ないから下がってて」
「何を言っているの、10年前のオレは子供だったけど」

今はそうでもないよ、と言うや否や、どすりとランボの左足をナイフが突き刺して、ランボが悲鳴を上げる。いつも持ち歩く愛用の銃を抜いて続け様に飛んでくる同じような刃物を軌道から逸らすと、は素早くランボの前に立って目を細めた。右腕に激痛が走る。一本、避け切れなかった。敵は一人だけれども思ったよりも手強そうだ。その上少し気味が悪い。一言も発することなくこちらを見つめている。背中からはお決まり過ぎてもはや泣き声にすら聞こえないランボの泣き声が聞こえていたが、不意にランボが呆れるほど喚き出して、驚いたは思わず振り返った。きっと毒でも塗りこんであったに違いない。ランボは酷く痛がって転げまわっているし、避け切れなかったナイフが刺さった腕も酷く痛んで痺れ始めている。毒は確かに痛いけれども、それでもわたしまで痛いといって喚くわけにはいかない。まったくつくづく世話の焼ける男の子だ。5歳だろうが15歳だろうが、まだまだ弱いくせに見栄を張るから痛い思いをするんだ。馬鹿なのもアホなのも知っているけれども、痛い思いはあまりさせたくない。少し転んだだけでも泣いてしまう男の子がこんな戦いに巻き込まれて大変な目に遭わないようにするのが、わたしの役目なんだから。

「ランボ、おねがい、大丈夫だから泣かないで」
「わあああん!」
「あっ」

がっしりとランボが何かを掴む。はもう何度も見て慣れてしまったその武器を取り上げようと思ったが、それよりも敵が早くてそちらまで手が回らなかった。背後でまた大きな音がして、敵を追いかけながらは大きく溜息をついた。それにしても本当に素早い敵だ。どこのファミリーだろう。刃物を投げるのはうちのヴァリアー隊の一人しか覚えが無いけれども、それほど有名ではないのか、それとも最近力をつけてきたのか、とにかくその辺の雑魚ではないことだけは確かだ。防戦一方になってしまっては埒が明かないなとが舌打ちをして一歩を大きく踏み込むと、狙いを定めてトリガーを引いたと同時に八方からナイフが飛んでくるのが見えた。しかし大きく踏み込んだせいでの体は瞬時に動くことが出来ない。まさか全てを全身で受けるわけにはいかないだろうと、は仕方無く痺れて感覚の無い腕を目の前にかざした。やがて襲う痛みを想像して強く眉を寄せる。そういえばランボの泣き声がしない。ああ、そうか、

「危ないよ」

すぐ後ろで聞き慣れない声がして、続いてばらばらと何かがかさついた地面に落ちる音がした。が来たる痛みに備えて瞑った双眸をあけてみれば、飛んでくるはずだった大量のナイフが焦げて地面に散らばっている。はっとして先を見やれば、相手もと同じような理由で避け切れなかったのだろう、狙った弾が当たって苦しそうにしながらその場を離れようとする敵が見えた。それをもう一度の狙いで仕留めて、近寄って頭部に一発を献上する。うちの雷の守護者の情報をあまり垂れ流しにされると困るのよね、と春の風で簡単に掻き消されてしまうほど微かに呟いて、はふうと本日何度目か分からない大きな溜息をついた。そろそろバズーカの威力も切れてちいさなランボが泣いて戻ってくるだろう、そう思って、帰るわよ、とが疲れたように告げると、振り返り様に人にぶつかって抱きしめられる。敵かと思って心臓が飛び出そうになるが、敵かと身を強張らせたのは最初の一瞬だけで、次の一瞬にはは訝しげにその存在を見上げていた。黒い癖っ毛に頬の傷、大人びてもどこか茶目っ気の抜けない緑の双眸。

「...ランボ?」
「なあに、
「......なん、で、5分経ったわよ、ね」
「きっと時計の針が止まってるのさ」
「何言ってんのよバカとっくに5分経ってるじゃない、きっとバズーカの故障ね」


呆れた様に片手を腰に当てていつものように自分を嗜めるをそっと見つめていたランボは、一度くすりと笑ってその声を遮って目の前の体を抱きしめる。ああ、こんなに小さくて柔らかい人だったんだ。いつも何かと怒鳴って怒って心配ばかりしている自分の世話役、というよりは、教育係の女のひと。昔の自分はこれからも死ぬほどたくさんこの人に頼って、危険な目にあわせては守られて、愛されて育っていく。ランボのためなら命なんかいらないといって笑ったひと。一番最初に好きになって一番最後まで愛してもらった可愛いひと。もう少し大きいかと思っていたのに、どうやらそれは自分の勘違いだったようだ。過去の自分はきっと理解しないだろうが、たくさん無理をさせてしまったなと今なら分かる。しかし皮肉なことに、何事も過ぎてから気付くのでは遅いことも、今になってようやく学んだ。

「ごめん」

「...25歳になってもまだ泣き虫のままなのね、泣きそうよおチビちゃん」
「残念だけど今は俺の方が大きいよ、
「...そうね、ホントだわ」
「腕、痛い?」
「いいのよこれくらい、それに5歳のランボにも15歳のランボにも怪我させちゃったし」

気にしないで、そう言って笑って、はランボの胸に頭を預けた。呼吸の度に優しい匂いがする。満たされるようなその感覚は酷く心地良いけれども、なんだか、少し気が引けた。目の前に居る20年後のランボには歳こそ越されてしまったが、それでも彼は今の世界ではわたしが教育係を務めているたった5歳の男の子で、本来ならわたしが守るべき存在だ。たとえそれがどんなに本当であっても、好きかもしれないだなんていえない。泣き虫だけれども、それでもやっぱり彼だって男の子なのだ。女として彼を好きになったら、今はともかく、そのうち彼はその身を挺してわたしを守ろうとするだろう。だから言えない。だけどきっとこのまま年月を重ねていったら、いつかわたしは絶対に目の前の人間に恋をする。とても優しい目でひとを見つめるようになるランボに。

「......、未来は変わると思う?」
「...あなたのいる未来は、変えたいと思うようなものなの」
「それは.........言えない」
「...ランボ、」
「......、あなたが、俺を嫌ってくれれば良かったんだ」
「な、に、言って」
「過去の俺に愛想を尽かしていれば」
「そんなこと、出来ない」
「出来るさ、昔の俺はとんでもない赤ん坊だろう?」
「ランボ、あなたが何を望んでいるのか分からないけれどそれは無理よ、あなたが可愛くて仕方が無いの、守りたくて」

仕方が無い。だからそんなことは言わないで、そう言って、は小さく唇を噛んで涙をこらえた。ぎゅうとランボの背中に回した腕に力を込める。相変わらず右腕の感覚はないけれども、今はそんなことはどうでもよかった。好きだといえたら、どんなに楽だったろう。いや、言おうと思えばいつだって言える。ただ、自分にはそう言って生きていく勇気がないだけだ。いつ失うか分からない愛を持つことも、いつかくる、愛する人を悲しませてしまう時も、恐ろしい。大切なものだから、せめて自分が傷付けてしまうことだけは避けたいと思うわたしはなんて卑劣なんだろう。こんなわたしにはもはや愛を語る資格すらきっと無い。それでも、どんなに自分を貶して蔑んでも、このきもちは消えないのだ。

「...ほんとうに、俺は幸せ者だ」
「...」
、顔を上げて」

ランボはとても優しい音での名前を呼ぶが、しかし一向に顔を上げる素振りのないに苦笑して、彼は再びやんわりとの頬に触れて顎を持ち上げる。頬に触れた指先が泣いていることを教えてくれたけれども、それでもランボは知らないふりをした。5歳児の前では、泣けないだろう。今ならだれも責めたりしない。そうして眉を寄せて涙を抑えるに、ゆっくりとキスをする。すき。この思いが、どうか伝わりますように。


「...ばか...」
「うん...しってる。」
「なによ...それ...」
「そろそろ、バズーカが直るころだ」

涙を溜めた目で笑ったの表情が少し寂しそうに揺れて、ランボは困ったように優しく笑った。もう会えないかもしれないと思うと募る切なさは尽きないが、大丈夫、きっと未来は変わる。今はそう信じたい。そう思いながら、抱きしめていたを離してその手をやんわりと握る。少しぎこちなかったけれども、それでもしっかりと笑うに別れを告げなければ。

、昔の俺は絶対言わなかったけど」
「なに?」
「どんなときだって、俺はあなたが傷付く度に悲しい気持ちになる」
「...ランボ」
「それだけは、忘れないで」

穏やかに笑うランボが愛しくて切なくて、はまた泣きそうになった。だけど、泣かない。堪えなければと思って泣く代わりに微笑んだ。来た時の騒々しさがまるで嘘のように閑静な空き地をひとつ、春らしい強い風が通り過ぎていく。飛んできた砂に目を細めると、小さな爆発音がして、すやすやと眠るちいさなランボが視界にはいった。おかえり。




僕はまた君に会いたい




032608
(今度はあなたとわたしの輝かしい未来でお会いしましょう)