暗闇の中で、光すら反射しない月の裏よりも暗い影が微かに揺れる闇の中で一つだけ窺える、銀色に跳ねる細い貴金属はその骨張った指先に酷く馴染んで緩やかに温まった。豪勢な椅子に腰掛けた男の口元に触れた手と一緒に運ばれた、ボンゴレリングよりもずっと質素なそれが、その指先に填まるのは珍しい。いつもならば喜怒哀楽に揺れる少し高めの女の声が絶え間なく生まれる部屋にはしかし、今は沈黙しか生まれなかった。もうそうなってから三日が経とうとしている夜は、鬱々とした男の気分を嘲笑うかのように完璧な満月をその星の海に湛えている。よく見れば、今日はグラスに並々と注がれたワインでさえも透き通った白の色をしていた。ザンザスが、どこか一点を睨むように見つめたままだった双眸を興味がなさそうにドアへ向けると、直後、そのドアが乱雑に開く。そうしてドアを蹴るようにして入ってきた人物は、開口一番にだいぶ大きな声で不満を叫んだ。

「う゛お゛ぉい、ボス、てめー本気で何もしねえつもりかあ!?」
「...しねえっつってんだろ、うるせぇな」
「でももう、三日だぜ?あいつ、もしかしたら死ん」

がしゃん、と、さほど大きくはないが思わずびくりとするような音がして、スクアーロの髪から雫が落ちた。透き通った白いそれは、鮮やかにアルコールの匂いがする。

「う゛お゛ぉい!!」

すかさず文句を言うためにザンザスを見たスクアーロは、そうしてついにその、ボンゴレリングよりもずっと質素な銀色の輪をザンザスの指先に見つけた。大抵のことに関しては他の誰よりも多くの情報を得ているスクアーロだが、しかしその指輪についてだけはヴァリアー内でも謎に包まれていて、さすがのスクアーロもそれが見た目の質素さに反比例して恐ろしく高級なこととそれから、がお揃いのそれをしていることだけしか知らない。付け足せば、スクアーロはザンザスが滅多にその指輪をしないことも、知っている。前に酔った勢いで愚痴を零していたの話では、付けろとせがむ度にことごとく断られる、という。なんでも銀は金属中電気、熱の伝導性が最大で、だからそんなものは付けられない、らしい。もちろん、超直感のあるザンザスに、落雷で死亡する確率も、熱で焼け死ぬ確率も、あるはずがないのだけれども、動揺したには判らなかったのか。とにかく、そうした数少ない情報から、スクアーロは珍しくその指輪をはめている目の前の男が少なくとも「何もしていない」状態ではないことを知った。

「おいおいおい、なんだよてめー、どうでもいいって顔しながら、やっぱ自分の女が心配なんじゃねえかあ」
「...てめえ、消されてえのか?」
「迎えに行こうぜぇ、」
「俺に、指図するな」

出て行け、と、凄まれるだけでは去らないスクアーロも、さすがに掌に光が集まるのを目の当たりにした瞬間に、諦めたように両手を挙げた。そうして来た時と同じように、いや、それ以上に増した不満を抱えて、彼は部屋を出て行く。沈黙が戻ってきた部屋には、先ほどよりも多くの光が差し込んで、ついにそれはザンザスの上にも降り注がれた。ゆっくりと流れる雲が光を斑に遮断しては、何もなかったかのように通り過ぎていく、窓の外は今日も静寂。影を生む光を煩く思いながらも、面倒で光のないところに動こうとすらしないザンザスの、味など感じない舌先を冷たい白ワインが滑って落ちる。今頃、スクアーロは自分のことを極悪人だと貶しているに違いない、とザンザスは思う。尤も、そんな言葉はまったくもって何でもない物なのだが、他人のことなどわからないものだなとつくづく実感した。確かにスクアーロの言うように、腐っても自分の愛する女である人間が任務へ行ったっきり行方知れずなら、普通の男なら一日は持っても二日目には狼狽してあれやこれやと手を尽くすだろう。しかし自分は狼狽などという極めて滑稽な事は絶対にしないし、それは嘘でも、まして強がりから出る言葉でもない。その程度しか信頼できない女を愛するほど自分は愚かではないだけだ。少しばかり視線が動いて、ザンザスは押し殺した溜息をする。小さく音を立てて空のグラスを置いた彼の手は、ゆっくりとその左の手に動いて、そうして彼はするりと指輪を外した。

「久しぶりね、ボス」

刻まれる、聞きなれた声の聞きなれたリズム。喜怒哀楽に揺れる少し高めの女の声が絶え間なく部屋に広がった。そうしてそれと同時に生まれた、対照的で様々な対比。闇と光、大と小、静と動、低と高、強と弱。黙るものと紡ぐもの、守るものとそれから守られるもの。

「......失敗しやがったのか、てめえ」
「だいぶ手を焼いたけど、失敗はしてないわよ、」

嬉しそうに、しかし酷く疲れたように笑うに、ザンザスは沈黙と刺さるような視線を向けた。三日ぶりに見る姿には、見慣れない大小の傷がある。そんなに手を焼くような相手ではなかったはずだが、それでも、自分や他のヴァリアーの隊員たちのように抜きん出た、あるいは特別な能力を持たない目の前の女では、今思えば致し方なかった、ザンザスはそう思った。這い上がる不快感に、ザンザスは小さく舌打ちをする。自身が所有するものに傷を付けられるのは、酷く、不愉快だ。

「ねえ、.........ザンザス、」

不意に名前を呼ばれて、ザンザスはぴくりとその眉を動かす。その声は、今回のターゲットであった人間を脳裏で考えながら不愉快そうに沈黙するザンザスの注意を引くのには十分だった。は丁度部屋の真ん中に立ったまま、その身いっぱいに、月に反射して熱を失った太陽の光を浴びて尋ねる。もう訊く事にも、そうして返ってくるであろう答えにも慣れてしまった問いかけ。

「...指輪、しないの?」

ゆっくりと流れる雲が光を斑に遮断しては、何もなかったかのように通り過ぎていく、窓の外は今日も静寂。懲りずに尋ねてくるに、ザンザスは嘲笑うように喉を鳴らして笑った。

「しねえよ、そんなもん」







深大なる愛を込めて今夜


112906