それは、どうにもこうにも寝付けない夜更けの事であった。ごろりと寝返りを打って、軒先を見る。蚊帳越しに、ゆるらゆるらと冷たそうな雲が流れ、山に隠れ、隣街へと去っていく。今夜は寝苦しい一夜になるでしょう、との天気予報士の言葉を思い出して、ああ、あの雲に触れたい、とわたしは思った。先ほどから、おとなしく布団など掛けていられない蒸し暑さがじわじわと首元にまとわりついてくる。嫌な感覚だ。外では風流に蛙が鳴いて、梟が鳴いて、風鈴が僅かに鳴るのだけれども、そのすべてを持ってしても、無音で迫ってくるこの真夏の蒸し暑さには敵わない。朝になれば少しは清々しくもなろうに、寝れない夜に朝を待つほど気の遠くなることもない。わたしは細波のような音を鳴らして木々が揺れるのを幾度か聞くうちにこの体が眠くなることを願った。しかし、結局幾ら待ってもわたしが望んだ欲望はちっともわたしに構ってくれなかった。寝れない。眠れない。もう一度寝返りを打つと、それと同時にわたしの唇からは非常に不機嫌な呻き声が漏れた。仕方なく、わたしは自身の不機嫌さを紛らわすために起き上がる。眠れないからと言って起き上がることは、わたしの一番嫌いな事のひとつであったのだけれども、それでも、今夜ばかりはどうしようもない。冴え冴えとしている脳に水を飲みに行くこの一度だけ、と言い訳をして蚊帳の外に出る。すると、丁度微かに風が吹いて、ショートパンツから伸びた二本の足を擽って行った。ぎし、と縁側の床が軋む。ゆらり、影が揺れる。数歩歩いて、静寂。そしてそれを破る着信音。立ち止まって、月光。そしてそれに照らされる新着メール。見れば、それはもう少しばかり先の未来でわたしの夫になる、と言われている少年、佳主馬からであった。起きているかと尋ねてくるメールに、わたしは急いで返事をする。それからすぐに返ってきたメールを、開ける。読んで、見上げる。飛び込んだのは視界いっぱいの真夏の星空。そしてそこに煌々と浮かぶ、深い深い金色の満月。

「満月だ...........」

小さく呟いた言葉は、生みの親であるわたしにすら知られることなく夏の夜空に消えて行った。僅かに風が吹いて、心ばかりの風鈴の音がする。水を飲みに行くことも、佳主馬からのメールに返信することもすっかり忘れて、縁側からただひたすらに宇宙を漂う満月を見上げていたわたしの頭の中には、もはや、今夜は寝苦しい一夜になるでしょう、との天気予報士の言葉など微塵も残ってはいなかった。









そして駆け出す、暗闇、ひらり切り抜けて、出会ったその正体 愛おしさ




081009