「ロック...オン」
「......おまえ、なんで、ここに」
「............どこに、いくの?」
真っ暗な宇宙のほんの小さな一画で、一握りの人間たちが戦っていたそのころ、世界がとても静かだったことを、私たちは誰よりも強く感じていた。戦いも、時間も、星も空も海の波も私たちの心臓も、止まっているものは何ひとつないのに、それは異常なまでの静けさで、わたしは酷くそのことに怯えた。いいや、怯えていたのは、体験したことのないほどのその静けさのせいではない。彼がここに来ることを、わたしは、自分の死よりも、世界の消滅よりも、何よりも恐れていたのだ。どこに行くのかと聞いたわたしの問いかけには答えず、緑色のパイロットスーツをとても見事に着こなした彼は力なく微笑む。格納庫には大きな緑色の機体がぽつんと仕舞われているだけで、それは置いてけぼりを食らったことを不服に思っているようだった。
「ちょっとそこまで、野暮用だ」
「ニール」
ぽん、といつもそうするように、わたしの頭に片手を乗せて、ロックオンはまるで普段と何も変わらないかのように悪戯気に片目を覗かせる。そのまま有無を言わせずに立ち去ろうとする彼を、わたしは呼んではいけないはずの名前で呼びとめた。ニール・ディランディ。これが彼の本名であり、守秘義務のある組織内では呼んではいけない名前。しかし、これから彼がどこへ何をしに行くのかを知っているわたしには、もはやそんなことなどどうでもよかった。一週間でも、一か月でも、いくらでも罰は受けよう。今は、彼の名前を呼べなくなることのほうが余程恐ろしい。
「おい、その名前は」
「...ニール」
「.....なんだ」
一度、諦めたように微かに息を吐いて、ニールはわたしに向き直った。そっと私が視線を上げると、それに気付いて彼はヘルメットを取る。柔らかな栗色の髪がふわりと揺れる、その様子に心奪われて、わたしはしばらく恍惚と、まるで別れを惜しむかのように目の前の男を見つめていた。一刻も早く出て行きたいだろうに、わたしが何も言わないことにも何も言わず、彼はわたしの頬に手を滑らせる。それは何度も何度も、彼が繰り返しわたしに与えてきた愛しい感覚であったけれども、何故だか今は心地よいとは思われなかった。ただ、ただ、胸が苦しい。
「....行くの?」
「ああ」
「...ティエリアはニールを守りたくて閉じ込めたのよ」
「...知ってる」
「刹那もアレルヤもみんな、あなたの分まで」
「」
「フェルトだって」
「わかってる、ぜんぶわかってるから...もう、言うな」
「ニー、ル...」
ぎゅうと強く抱きしめられて、わたしは一瞬、息が失われたような気がした。声が喉に張り付いて、この静かな世界で音になることを恐れている。温かな体からその体温が伝わるほど、どんどん恋しさが生まれてわたしの中を埋め尽くしていった。ニールの背中に、そっと腕を回して、その胸に顔を埋める。こんな時になってもまだ、彼の腕の中で泣くことが許されているわたしはきっと、幸せだと、思うべきなんだろう。一体、今まで何度、こうして抱きとめてもらったのか。一体これから何度、わたしはこの体温を恋しいと、思うのか。ふとそんな問いが頭を過ったけれど、考えたくなかった。考えてしまえば、わたしが今一番大切にしているものが壊れてしまう気がした。
「みんなのこと、よろしく頼むな。」
「...うん、」
「おいおい、そんな簡単に引き受けていいのか?あいつらをまとめるのは、大変だぞ?」
「ふふ、平気、だよ...」
「」
「なに」
「...俺のこと、許してくれるか」
穏やかに微笑んだあと、ニールは一際真摯な眼差しでわたしを見つめる。わたしは、何をしても溢れてくる涙を止める方法を知らなくて、彼の大事な問いにも答えることができずに俯いた。しかし、すぐにニールの優しい手がわたしをその問題から救い出す。その掌がわたしの頬を撫でて、その指先がわたしの顎を持ち上げる、視線を操る。そうして出会った彼の瞳が、伏せられる間際、わたしの双眸に言うのだ。愛している。
「ニール」
「泣くなって」
泣いていても知らんふりをする時だってあるくせに、今日の彼は本当に、優しい。指先で雫を掬いあげて再び、ふ、と微笑んで小脇に抱えたヘルメットを被るニールを、わたしは丁寧に、ひとつの動きさえ見落とさないように見守った。ぽろぽろと零れる涙はまたすぐに止まらなくなったけれど、私は声を押し出した。今度こそわたしの前から歩を進めようとする彼に、言わなければいけないことがひとつある。
「それじゃ、そろそろ」
「ニール、わたしね」
「...?」
「わたし、どうしてだか、ニールとは、また、どこか、で、会えるよう、な気が、して」
重力のない格納庫の片隅で、涙はぽたぽたと落ちることもなく宙に浮く。引き留めたいわけじゃない。確かに名残惜しいことはあるけれど、それでも納得はしている。これが彼の選択で、そうしてわたしの決断だ。どんなに悲しくても、辛くても、そう思えば後悔はない。迷うこともない。
「だから、またあとで、会いた、い...ニール...」
「じゃあ、俺を許すかどうかは、その時に聞かせてもらおうか」
「うん」
「..転ばないようにゆっくり会いに来いよ」
あとで、がいつかなんてわからない。しかし、不思議なことに私たちにはそれがいつか、来ることは分かっていた。少なくとも、この世界の人間のうちの二人は、そんな迷信じみた何の根拠もない可能性を、信じていたのだ。辺りを跳び回っていたハロを呼び寄せて、準備を整えたニールが、こつんと額をぶつけてくる。彼は決して言わなかったけれど、それでも、その瞳は静かに別れを告げていた。それに気がついて、わたしは涙を湛えたままそっと、彼に微笑む。世界でいちばん愛しい人が、こんなにも近くにいた。その幸せだけは、どんな時も忘れないで覚えておこう。さいごまで、こんなに大事に愛してくれて、ありがとう。
「ニール」
「またあとでな」
「いってらっしゃい、」
気をつけて

011809