「宗兵衛!」
「~幼名で呼ぶのはよしてくれってあれほど」
「そっちこそむやみやたらに喧嘩に首を突っ込むなとあれほど言ったのに!」
「ばっか、恋と喧嘩はなあ」
「まつ姉様に言い付けるわよ!」
「…」
街は強い陽射しに跳ね返る青々とした緑をそこら中に湛えて今日も賑わっていた。まつに言われて、一時的ではあるが仕方なく前田家に居候している慶次は今日も朝から外をぶらついていて、はそんな慶次に今日も怒り心頭と言わんばかりの声を張り上げる。しかしそれが彼らの日常であり、それ故に例え互いに毎日怒り怒られていても、根底には膨大な愛が佇むばかりなのである。増して、利家とまつ夫妻を見て育ったも同然の慶次には、愛した人を大切にすること以外に心血を注ぐものがない。は小さく溜息をつく。胸中に渦巻くのは慶次の抱える過去と自分の未来。先だってとある所の使者から文を預かったことを思い返す。
「…」
「うん?」
「何かあったのか?」
「何かって、別に何もないわよ」
「…そっか、なあ 俺 腹が減ったよ」
「まつ姉様に台所を借りて今何かこしらえるわ、その間にお風呂にでも入ったら?」
「おう!」
慶次は威勢よく立ち上がって部屋を後にした。襖を閉めて、風呂場に向かう。の様子がおかしいことはすぐにわかった。好きなやつの異変に気付けないほど間抜けではない。ただ、何故かが分からない。とうとう自分の放蕩癖に愛想を尽かされたのか?それともいつも飯だ飯だと騒ぐからか?慶次はそう考えながらどれも正しいとは思わなかった。確かに自分とは好き合っているが結婚してはいないし、幼い頃は一緒だったがそれからずっと一緒に居たわけでもない。しかしいつだっては自分を認めてくれたし支えになろうとしてくれていた。
そんな女の人が放蕩癖だとか大食漢だとかいった事柄で誰かを好きになったり嫌いになったりは しないだろう
ふと前のほうからこちらに向かってくる足音がした
「ああ慶次!やっと見つけましたよ」
「おうまつ姉ちゃん、…俺に何か用?」
「慶次、」
「なんだい辛気臭い顔しちゃってさ!」
「折り入った話があります、こちらに」
「…」
他の何でもない
のことだと、慶次は瞬時に理解した。
呼ばれた部屋に入るとそこには利家もいて、まつは丁寧な動作でその横に座る。嫌な予感を抱えて慶次が座ると、利家が静かな声で話し出した。
「…慶次」
「……なんだよ利」
「を嫁に欲しいというヤツがいるらしい」
「…なんだって」
あまりにも唐突で、あまりにも衝撃的な事実に 慶次はただ利家の顔を見るしかない。
「そんなに怖い顔をして某を見るな、慶次、某らは何もできないぞ」
「何も?…二人はを育てたも同然じゃあないか」
「確かに。しかしあくまでは他の屋敷から預けられた娘です。前田家には縁もゆかりもありませぬ」
「そうだ、だから某たちは口出しできぬ…例えお前とが好き合っている仲だと知っていても」
これはの問題だ。それは分かってはいる。だがしかしもしも彼女がこの話を承諾するならそれはほとほと馬鹿げた行為としか言いようがない。何せ自分がを好いていることをは知っているし、それを受け入れて彼女も自分を好いていると言っていた。それなのにどこかにいる別の男のもとに嫁いで行くのか?なぜ?理解できない。
「俺ちょいとと話してくるわ、」
「しかし慶次、」
「本人と話すのが一番手っ取り早いだろ」
慶次は廊下に出るとそのまま台所のほうへ向かう。腹が減ったと言った自分の為に、きっと彼女は何かをこしらえているだろうと思ったのだ。そうしてその読みは当たる。しかし慶次が来たことに気付かないのか、は料理を作る手を止めず、慶次は少しばかりそれを眺めようと柱に寄りかかってを見つめた。好きなやつを誰かに触られるのがイヤだとか取られるのがイヤだとか、そういったことではなく、ただ純粋にに傍に居て欲しいと思う。帰る場所に、当たり前にいて出迎えて欲しいと思うし、怪我をしたらその手当てをして欲しいと思う。一々細かいことで言い争ったり、を隣に呼んで一緒に昼寝をしたり、の作るご飯を腹いっぱい食べたり、まつ姉ちゃんと利とと自分の4人で花見をしたり。一緒にやりたいことは山ほどある。
それに何より、好きだから、守る役目は他の誰でもない、俺に任せて欲しい。涙を止める役目も、笑わせる役目も、
「を幸せにする役目は、俺には務まらないのか?」
「…慶次」
「なぁ、あんたは俺を 」
俺を、何だというのだ。慶次は続ける言葉が見つからずに口をつぐんだ。恋が実ればそれが落ちるときもある。重々承知の上であったはずのことが、なぜ理解できないのか、それが理解できない。頭で考えるだけ無駄なのだということをもう少し早く知っておけばよかった。そうすれば、もっと自由に、理由などと下らない事など考えずに二人の時間を楽しむことができていた。
「慶次を嫌いになったわけじゃない…好きよ、慶次、すき…」
「じゃあなん…」
なんで?また理由を聞き出そうとするのか、俺は
「…政略結婚だからよ」
ほんとうに、頭で考えるだけ無駄なのだということをもう少し早く知っておけばよかった。
「理由なんて元からないの」
そうすれば、きっとこんな事にはならなかった
「だけどわたしは」
言いかけたの言葉を、慶次は精一杯の愛情を込めて奪う
「…俺はこんな恋いらないよ、」
いらないはずがない
だけど慶次はやさしく笑って、さようならをする
小さく泣き声がするのを背中に感じながら、もう自分たちは泣くときも一緒なのかと どうしようもなく切なくなった
つらつらと続く廊下を歩く
傷付くだけの 恋はしまっておこうとおもう
毎日毎日、苦しい思いをして 後悔をして こんなにこんなに恋焦がれて だけどどうしようもないことを知る
どうにかできたはずなのに何もしなかった俺はそうして一人で生きていく
だから傍にはいられないけど
あんたはこれから連れ添う相手と幸せになるといい
もうそれしか願えない残された僕の唯一の願い
090907