昼下がりのフロリダ、パンハンドルは見事な晴天だった。堂々としたエグリン空軍基地入り口看板を横目に基地のゲートを抜け、借りてきた車を指定の駐車場に停めて降りると、海風に乗って、松林からの松脂と太陽に熱された白浜の砂の香りが漂う。風が松の木を揺らすたびに、小鳥の囀りに葉擦れの音が混じる。3月下旬にも関わらず夏らしさを伴う、サングラス越しに色づいてなお強い開放感のある景色と、ヒューストンより乾いて軽い風に、は少しのあいだ車の側で立ち止まった。スケジュールの調整がつかず、本来なら2月中には対応するはずだった用件がこの時期まで押した結果、エグリンでの大規模演習に重なることは想定外だった。基地奥深くの演習場方向から重い炸裂音が響いて、数羽の鳥が松の木から飛び立っていく。ジェット燃料の香りに混じる火薬の硫黄臭が、薄く不穏な香りとなって鼻腔に残る。実地調査でもなければ続く先があるでもない、凍結案件のクロージングという何ら面白みもない用件を思い返して、はようやく車の側から基地の建物へと足を踏み出した。

「よう  久しぶりだな 待ってたぜ」
「ブロディ 久しぶり 対応ありがとう」
「元気そう…ってことにしておくか」
「元気だよ 流石にちょっと今日はしんみりしてるだけ」

受付を済ませてすぐ、建物の奥からやってきた見知った顔には軽く息をついた。そうしてサングラスを外し、いつも通りに笑う。ブロディはを見下ろしながら深追いする気配もなく、んじゃいくか、と口角を上げて言って歩き出した。監視カメラがびたりと張り付く、外の音も大して聞こえない密閉されたような廊下を横並びで歩く。は無意識のうちに手に抱えたファイルを僅かに強く握り、どこの基地も建物内は大して変わらない、と胸中でのみ呟いた。ヒールの音が乾いて響くたびに自身の異物感を味わされて息が詰まる。

「先に回収してから大佐と会議だったか」
「そう」
「スタンリーのやつ 今日訓練で立ち会えねえだろ 気にしてたぜ」
「何を?」
のことをだ」
「え???」

自分ですら驚くほど頓狂な声が廊下に響いて、は反射的に足を止めた。ブロディが悪戯げな瞳をに向ける。その機嫌の良い口端はまるでポーカーで勝ち抜けを確信した時と同じだった。

「ちゃんと見とけってよ」
「なんだ 普通じゃん 何かと思った ビビらせないでよブロディ」
「オイオイ 何言ってやがる 俺らにとっちゃ普通じゃねえんだ」
「そりゃあだって わたしは軍人じゃないからね?」
「あー そういうことじゃねえんだがな 俺が言ってんのはよ…」

ブロディはその大きな体の置き場に困ったように肩をすくめる。至極当たり前の事実を並べる温度で返答して横を歩く女には、先ほどの驚きはもう微塵も残っていない。それどころか、すれ違う軍人に浅く会釈をして、すでにその意識を会話から離している。少しも頓着のないを横目で見遣ると、ブロディは諦念まじりの笑みを呼吸に潜めた。一見指示の焦点はのようでいて、その実態は自分の部下への念押しだ。まるで要人救出でも任された気分だぜ、とブロディは冗談じみた軽さで独りごちて、一切の感情もなく淡々と指示を渡してきたバターブロンドの髪の上司のいつも通りの様子を思い返した。言わなくてもいいことを言う時にはそれなりの理由がある。

「バハハ!ま 何にせよアルファの指示は絶対だ」
「ね〜 思い出し笑い怖いんだけどブロディ 置いてかれてる わたし」

大層ご機嫌な笑いを響かせる大柄な男に、は胡乱な視線を投げる。しかし目的地である格納庫へと繋がる重い扉を潜ると、その視線は途端にエプロンの向こうにある二機の戦闘機へと奪われた。

「ああ ちょうど上がるとこか」

ブロディは格納庫に入って無意識に足を止めたの横でその目線の先を追う。点検を全て終えた様子の戦闘機の手前で、ヘルメットバッグを担いだままバターブロンドの男とサンドブロンドの女が手振りを交えて短くやりとりをしている。じっと熱の籠った視線で男の手の動きと口の動きを追うサンドブロンドの見慣れない軍人が、美しく煌めく双眸で大きく頷く。傍に寄るクルーチーフの手振りで機体の準備が全て完了した旨を知ると、二人はそれぞれの戦闘機へと向かっていった。

「スタンリーと新入りだ 空戦訓練があるからな このひと月ずっとああして飛んでんだ」
「…新しい人が入ったの?知らなかった」
「つい最近だぜ こないだの模擬空戦でえらい腕のいいとこ見せてな そんでスカウトだ」
「ふうん」

エンジン音が立ち、しばらくのちに深い青の空に揃って迷いなく飛び立つ美しい二機の戦闘機を格納庫から眺め、は静かにひとつ瞬きをした。チタンの戦闘機が太陽を反射して遠ざかり、音だけが尾を引いて残される。

「……すごいね」

格納庫の作業音に埋もれる程度のそれを残して、はブロディを見遣って視線だけで自身の業務の先を促す。ブロディはかつてランチを共にした際に、仕事が最大のライバルになるタイプと目の前の女を評したことを思い出し、呆れたように笑った。また思い出し笑い、と僅かに釣られるの返す言葉が、大声で交わされる整備員らの声に紛れて宙に溶ける。格納庫脇の保管区域に入ると、ブロディが大股で奥のほうへ向かい、台車を引き出す。開いた段ボールから垣間見えるパウチの束に、一拍ほどの短いあいだ、の視線が足元に落ちる。しかしブロディが台車と共に戻るよりも早く、その視線は再び褐色の偉丈夫へと向き直っていた。

「ほれ 未開封が三十二 空パウチが十八 俺が今朝二回数えた 全部目録通りだ」
「ありがとう 全部保管しておいてくれて」
「バハハ!もともとそういう指示だろが 気にすんな」

豪快に笑うブロディが台車をの傍で止めると、が手にしていたファイルから目録を取り出して内容を確認する。それから手袋を嵌め、屈んで台車に乗った段ボールの中身を取り出し、ロット番号を声に出して読み上げながら手元の目録と突き合わせていく。すべての確認が終わる頃、が確認のために並べたパウチを眺めるブロディの低い声が、保管区域にぽつりと落ちた。

「科学屋は道具の死体にも用があんだな」
「…そうなの 研究資材は非公開の技術だから破棄も立ち会いと記録が要るし」
「こっちも似たようなもんだな 俺は技術屋だが 死んだ機械の後始末とかよ もっとも俺がやるばっかしじゃねえんだがな」

そっか、と掠れた音で返す合間も、は処分対象のパウチのラベルを手際よく剥がし続ける。ふと同僚に、全てを自分でやらなくてもいいんじゃない、と言われたことが脳裏をよぎる。スケジュールが押してこの時期まで待たせてしまったことも、誰かに代理を任せればもっと早く済んだはずだった。剥がしたラベルを全て箱に入れ、顔を上げたに、ブロディが手にしていた評価票の束を差し出す。受け取って紙束をざっと捲る。不自然な箇所で途切れた記録が目について、はそれ以降を束から分離した。価値のない未使用の票には、管理番号と評価項目をはじめとする情報管理上のリスクだけが残されている。

「んでよ こいつはまたそのうち戻ってくんのか?」
「案件のこと?凍結は解除されてない 今日は最後のクロージングの手続きに来ただけ」

様々な筆跡で記入された評価票の束を手早くさらい、書き損じを抜き出して未使用の票の束に加える。ふと評価票の中に見慣れた筆跡を認めて、微かに目頭と鼻腔の奥が熱を持つことには気付かないふりをした。見知った人間らの名前で記されるその記録の最後の日付が合っていることを確認し、手持ちのファイルに仕舞う。

「そりゃもったいねえな あの飯 皆結構気に入ってたんだぜ 誰も文句垂れてなかった あれだけはな」
「………ありがとう それも記録のどこかに残しておく」

保管区域の僅かな静寂が、ジェットエンジンの離陸音に呑まれる。サングラス越しの瞳が観察のように向けられるのを、は視線さえ渡さずひとつの笑みだけで受け止めた。柔らかな春先の日差しも、抜ける風がなければ蒸して暑い。

「”確実に機能しないと どんなものも現場じゃ不良品”でしょ 理由はどうあれ 事実で見ればこれは機能しなかった」
「……科学者って奴らはどうにも えらい難儀な生き物だな」
「褒め言葉として受け取っとく」

小さくはにかみ屈んでいた姿勢から立ち上がって、さて、と言うと、それを合図にしてブロディが処分対象の空パウチと紙束の入った段ボールをおもむろに抱えた。同じ区画にある廃棄用の専用コンテナへと向かう道すがら、は廃棄記録の用紙をファイルから取り出して確認する。そうして廃棄場所に辿り着くと、大きな音を立てて開けられたコンテナの前で、確認するようにサングラス越しの瞳が向けられる。

 目え離すなよ 入れたら二度と出せねえ 投入すんぞ」
「お願い」

ブロディが廃棄用のコンテナに箱を投入して、二度と開けられないよう封入する。それを見届けて、は手にしていた廃棄記録に処分日、品目、数量を記入し、最後にNASA側の署名欄へ署名した。それをペンと共にブロディに手渡し、そっと鼻先で薄く溜息をつく。凍結解除の日はもう二度とこないかもしれない。滑走路から飛び立つジェットエンジンの唸りを聞きながら、は格納庫の先で見た二機の美しき戦闘機のことを思い出した。








relhic
08.04.26