芽吹いたばかりの若葉と咲きたての花の匂いがして、頬を薄い風が撫でていくので目が覚めた。何とはなしに身動ぎすると、今度は自分のではない体温に出会ってははたと目を開ける。昨晩の出来事をはっきりと覚えているわけではなかったが、自身が布団の下で何も身に纏っていないことと、目の前で微睡むカカシが緩々とその瞼を上げてこちらを見たことが、の中に得も言われぬ羞恥心を生んだ。この里に下りた時からずっと命の恩人で、時に兄のように、よき先達のように、保護者のように、そして親しい友のように、今までの時を過ごしてきたカカシが、今は一人の男として隣にいる。思いを通じ合わせたのは病院で目を覚ました去年の秋だったが、変化した関係性をこうもまざまざと突きつけられたのは今が初めてだった。カカシは何も言わないで、布団の上からを抱き込むようにしていた手をするりと伸ばしての頬を撫でる。撫でられて、力が抜ける。はようやく自分が僅かに緊張していたことに気が付いた。

「…良かった、ちゃんとオレのこと、男として見てくれてるね」

そう言って心底安堵したように目元を緩めて笑うカカシが、冗談などではなく本当に嬉しそうにしているので、もう随分と前からそうだった、と言おうとは口を開く。しかし、真っ直ぐにこちらを見つめてくるカカシの双眸に出会うとすぐに、そうではなかったかもしれない、という思いに駆られた。確かにカカシを、男として意識していた。でも、それからずっと、逃げていた。気恥ずかしくて、怖くて、不安で、そんな風に色んな理由をつけて、結局その変化にちゃんと向き合ってはいなかった。いつまでも逃げてはいられない、と言いながら、許される限り逃げようとしていた。

「…もしかして、カカシも不安だった?」
「……そうねえ…ま、それなりにね…」

二度三度との頬を撫でて、カカシはいつもの調子でそう言った。眠たげに瞬きをしながら、少し居心地が悪そうにする目の前のを眺める。軽やかな鳥の声が風に乗って鳴る。この里で彼女と最も長い付き合いがある自分は、彼女にとって様々な意味合いを持つ存在だ。命の恩人でも、保護者でも、兄でも、先輩でもない、ただの男としての自分が果たして本当に彼女の望んでいるものなのか、本当を言えば少し不安だった。しかし、昨晩は、そんなことよりも目の前の命が愛おしい、ということばかりを考えていた。不意にがハッとして、半身を翻してベッド脇に置かれた時計を見遣る。そろそろ起きよう、と言ってがカカシに視線を落とすと、カカシはとても静かな目でを見ていた。それはとても優しかったが、いかなる喜びも悲しみも見当たらない不思議な視線だった。

「カカシ?」
「…傷、そういえば見たの初めてだったなと思ってね…」

触れた肌に残る傷跡を思い出す。あの雨の酷い日に抱き上げた彼女の体の重さを、まだこの両手は生々しく覚えているが、昨夜その手で一つ一つなぞるように触れた傷跡はどれも、命の通う温かいものだった。救ってくれてありがとう、と泣きながら笑ったは、自分や三代目が、どんなに自身が諦めないでいてくれたことに感謝したか、想像すらしたことがないだろう。

「…」
「…ん?」
「……なんでもない、起きるからあっち向いて」
「…何よ、気になるでしょうが」

ベッドに頬杖をついて、カカシが不服そうに目を眇める。小さい頃はあんなに何でも、くるくる変わる表情で話してくれたじゃない。そう言ってからかえば、は昔と変わらず唇を尖らせて、いつの話よ、と手繰り寄せたシーツを纏ってベッドを抜け出した。シャワーを浴びてくる、というの後ろ姿にようやくカカシもベッドから起き上がって着替え始めると、さっきのだけど、と会話を切り上げたはずのの声がした。

「…あの時、ほんとはもうダメかもって何度も思ったの」

カカシは一つ瞬きをして、ベッドルームの入り口から背中に投げられるその言葉を聞く。振り返るべきか迷ったが、しかしいよいよ本格的に輝き始めた朝陽が眩しくて、静寂の合間に振り返る。するとまだ陽の届かない、朝の影の中で、は真っ直ぐにカカシを見つめていた。あの日の話をするのはあまり得意ではないはずのが、何を言うのかカカシには咄嗟に見当がつかなかった。互いの視線が音もなく交わる。朝陽を乗せた風が、木々を揺らして部屋を通り抜けていく。

「でもカカシが昔、救ってくれた命で、もっとみんなと、あなたと一緒にいたくて」

それしか、最後には考えてなかった。最近は、この傷を見るとそのことをよく思い出す、とは視線を落としながら笑んだ。

「それくらいカカシがすきよ」

それは心底喜びに満ちた、春に相応しい微笑みだった。






僕が惹かれたのは君の諦めない瞳  
06.11.20